ゴスペル よい知らせ キリストをあなたに @31church.net
     メッセージ

〈13〉主を待ち望む者は新たなる力を得る


 「ヤコブよ、何ゆえあなたは、『わが道は主に隠れている』というのか。イスラエルよ、何ゆえあなたは、『わが訴えはわが神に顧みられない』と言うのか。
 あなたは知らなかったのか、あなたは聞かなかったのか。主はとこしえの神、地の果ての創造者であって、弱ることなく、また疲れることなく、その知恵は測りがたい。
 弱った者には力を与え、勢いのない者には強さを増し加えられる。年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れ果てて倒れる。
 しかし、主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、昇ることが出来る。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない」(イザヤ40:27〜31)。



 ★預言者イザヤがこの預言を書き記した時代は、イスラエル民族のバビロン捕囚時代だと言われています。主に対する彼らの不従順と罪のために、彼らは捕囚として異国のバビロンに強制移住させられ苦難の日々を送っていました。
 ★彼らは「わが道は主に隠れている」、つまり「私たちの苦難を主はご存知ない」、また「我が訴えは我が神に顧みられない」つまり「私たちの祈りを主は聞いて下さらない」と言って嘆き、落胆しておりました。
 ★確かに、彼らイスラエルがバビロン捕囚を解かれ、彼らの願い通りに母国パレスチナへの帰還が許されたのは、イザヤのこの預言の時から数えて百数十年後でしたが、主は彼らの苦悩をご存知なかった訳ではなく、また彼らの祈りに耳をふさいで居られた訳ではありませんでした。

 
主の答え
 ★主の答えは「主を待ち望む者は新たなる力を得る」でした。彼らの置かれている環境・状況は変わらないけれども、主を待ち望むなら、彼ら自身に変化が起きるのです。「新たな力を得る」は、原語では「その力を更新する」となっています。
 ★「更新する」と言うヘブル語は「交換する」という意味があります。主を待ち望み、主に信頼する者は、自分の無力を告白して、自分を主に明け渡すことによって、聖霊の与える新しい天来の力と交換して頂けるのです。ブドウの幹である主ご自身に連なる枝になることによって、主から十分なる命の力を受けるのです。
 ★「更新する」と言うヘブル語はまた「着替える」と言う意味もあります。主を待ち望み、主に信頼する者は古い生来の自分の力を脱ぎ捨てて、主から来る聖霊の力を着るのです。ルカ24:49はその事を語っています。ここは新改訳の方が正しく訳しているので、新改訳で引用します。「さあ、私は私の父が約束してくださったものをあなた方に送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都に留まっていなさい」
(ルカ24:49)
 ★私たちの置かれている環境・状況・条件は昨日と何ら変わらなくても、昨日まで「主は祈りに答えてくださらない」と失望・落胆・不平・不満に満ちていた自分の心を主に明け渡し、主が約束しておられる聖霊による平安と喜びと力に満たされる時
(ヨハネ16:22〜33)、悪条件と見えるすべての環境・状況が、感謝と賛美に変化するのです。肉体のトゲが去るように祈っていたパウロに「私の恵みはあなたに対して十分である。私の力は弱いところに完全に現れる」(2コリント12:9)というみことばの啓示が与えられました。この御言葉によって、彼は「キリストの力が私に宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう」と告白出来るようになったのです。
 ★私たちキリスト者が、信仰によって自分の古い命と引き換えに与えられた「新しい命」は日々新しくされる命です
(2コリント4:16)。御霊の与えて下さるこの「新しい命」は私たちの死ぬべき肉体をも生かす力がありますローマ8:11。そして、キリストは、再臨の日に土の器なる肉体を脱ぎ捨てた私たちに復活のキリストと同じ栄光のからだに着替えさせてくださるのです(ピリピ3:21)。この日は、文字通り「走っても疲れることなく、歩いても弱らない」不老不死の天国の身体が与えられる日です。



URL http://31church.net
キリスト紀元2005年 9月 10日公開


13