ゴスペル よい知らせ キリストをあなたに @31church.net
     メッセージ

〈1〉御霊とみことばのバランス


 
「悪しき者のはかりごとに歩まず、罪人の道に歩まず、あざける者の座にすわらぬ人は幸いである。このような人は主のおきてを喜び、昼も夜もそのおきてを思う。このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。」詩篇1:1〜3
 
「わたしは高く、聖なる所に住み、また心砕けて、へりくだる者と共に住み、へりくだる者の霊を生かし、くだけたる者の心をを生かす。」(イザヤ57:15)


 ★マルチン・ルターが旧約聖書のきよい動物たちが反すうし、ひずめが割れている
(申命記14:4〜6)のは、み言葉を反すうし、心の砕けた人の象徴だから、と言っております。上記イザヤ書が言うように、主は心の砕かれた人と共に住むお方ですから、み言葉を反すうし心の砕けた人は、御霊によってみ言葉を読み、御霊によってみ言葉を生きる人ということになります。
 ★日本の教会は「学ぶ教会」と言われますが、御霊によってみ言葉そのものを学ぶのでなく、学問的に神学を学ぶ教会と言った方が適切でしょう。聖書講解の得意な教会も聖書から御霊によって直接聞くのでなく、聖書註解書に頼った説教作りが多いようです。今日、キリスト教会が初代教会のような力と命と喜びを失っている原因は、聖書が明確に教えている聖霊のバプテスマと聖霊の賜物を無視しているためではないでしょうか。伝統に縛られ聖書理解がゆがんでいた律法学者・パリサイ人のように福音派教会の多くの牧師・神学者たちは「聖霊のバプテスマを無視する」伝統に縛られ、聖霊を人格をもった神と認めていても聖霊の生き生きとした助けと十分な導きを受ける事ができないでいます。
 ★これに対して、最近盛んなカリスマ派教会の中には祈りの時間の長さを強調したり、預言を格別に重視したりしますが、聖書を熱心に読む事、学ぶ事を余り重視していない教会があります。この種の教会は聖書に学んで教会形成をするのでなく、彼らの教会内の自家製の預言者たちの気ままな預言に導かれて教会形成をしようとしています。彼らの預言は新約聖書の預言
「しかし、預言をする者は、人に語ってその徳を高め、かれを励まし、慰めるのである。」1コリント14:3)でなく、旧約聖書型の預言(「教会はこの方向に進むべき」といった指導型預言)です。これは聖書が明示する教会形成のやり方ではありません(使徒20:32;2テモテ3:15〜17)。また、カリスマ派教会の中には人集めに熱心の余り、新興宗教のまねをして「イエス様を信じると救われるだけでなく金持ちになれる」と言って、生来の人の金銭欲におもねる教会もあります。言うまでもなく、「神と富とに兼ね仕えることはできない。」(マタイ6:24)「富むことを願い求める者は、誘惑とわなとに陥り・・・金銭を愛する事はあらゆる悪の根」(1テモテ6:9,10)という聖書の教えに反しています。
 ★聖書主義の福音派が聖霊のバプテスマを無視すると死せる正統派に堕ちるように、カリスマ派が聖書を軽んじると新興宗教に堕ちます。聖書と聖霊のバランスのとれた両立が必要です。


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キリスト紀元2003年 6月 1日公開


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