ゴスペル よい知らせ キリストをあなたに @31church.net
   ★筆者から4 「SSさんへの返信」
   ★筆者から5「本日予定していた更新作業のこと」


★閲覧者SSさんからのお便り

        
 キリスト紀元2005年 12月 19日
(SSさんは、70代・男性・求道者です。当ホームページの熱心な閲覧者で、数日かけて全部読んでくださったとのことです。当HPがきっかけで、いわゆるメル友となりました。以下のメールはSSさんの了解を得て掲載することになりました)


 
★クリスマスメール有難うございました。お心使い大変嬉しゅうございました。
 ★永らく宿題になっていました斉藤宗次郎の「二荊〈にけい/荊はイバラのこと〉自叙伝」の読後感想の件

(筆者説明:以前SSさんが斉藤宗次郎の「二荊〈にけい〉自叙伝」を読んでおられるとのメールがあったので、読後はぜひ読後感をお聞かせくださいとメールしたことがありました。斉藤宗次郎は内村鑑三の弟子で、鑑三の最後を看取ったとの事です。)

ですが、祈りと新聞配達業の毎日を日記として淡々と記述してあって退屈でした。それもかなりの大冊ですのでしんどかったです。
 ★その中で特に印象にのこったのは、仏教教団のあり方に対しての徹底的な批判でした。キリスト者でない私でもかなり共感できますが、もうコテンパンです。あまりにも厳しすぎるので少し顰蹙(ヒンシュク=まゆをしかめる)を感じました。
 
 ★この本を読んでよりも、彼の逸話に感動しました。
ご存知のように彼は内村鑑三に感化されてクリスチャンになったのですが、日露戦争に反対し、小学校訓導の折授業にキリスト教の布教と反戦を織り込んだため、教職を追われ村八分の逆境に立たされました。その後新聞配達業に転じ生計をたて花巻に17年間住んでいました。
 ★その彼が花巻を去るとき、町長・町の有力者・一般の町民・いざりのこじきまでがこぞって見送り別れを惜しんだということでした。その間キリスト教の布教活動は個人の信仰にとどめ、もっぱら”愛”の実践に徹していたようです。(日記には布教活動の記述は一切ありません)
 ★私が経験してきた聖職者たちの態度とはえらい違いで、いっそう感銘をうけました。
 
 ★宮沢賢治の”雨にも負けず風にも負けず”の詩について宮沢賢治代表作のこの詩は熱狂的な法華経信者であった賢治の信条・心情を述べたものと一般には思われていたようです。特に仏教界ではそうで、仏教雑誌には偉いさんがしばしば引用し高い評価をしています。
 ★ところが、近年その詩のモデルがキリスト者の斉藤宗次郎だとの説が浮上してきました。それで同じ花巻出身の宗教学者の山折哲雄が着目し「二荊自叙伝」の出版を企画したものです。
 
 ★寒くなりましたね。こちらは雪が降りました。風邪などひかれませんようお身体大切にしてよき年をお迎えください。 
 来年もご厚誼ご指導よろしくお願い致します。
         SS

筆者から4 「SSさんへの返信」
        キリスト紀元2005年 12月 19日

 ★メール感謝します。
 Tコリント13:2〜3に
「また、私があらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値打ちもありません」
とあります。
 ★「斉藤宗次郎が花巻を去るとき、町長・町の有力者・一般の町民・いざりのこじきまでがこぞって見送り別れを惜しんだということでした。その間キリスト教の布教活動は個人の信仰にとどめ、もっぱら”愛”の実践に徹していたようです。」 
 ★斉藤宗次郎がこの神の愛を実践したと言うことは、実に尊敬に値することだと思います。この愛の実践はノーベル賞を受賞したマザー・テレサと同類のものだと思います。

 ★ところで、上記Tコリント13に神の愛の定義(
下記ご参照)を書き、自らその愛を実践した使徒パウロが宗次郎やテレサと異なる点は神の御心の第一義である「福音宣教」(マルコ16:15;マタイ28:19)を緊急第一課題としたことです。
 ★宗次郎やテレサの愛の実践によって人々の心が慰められ、励まされ、癒されても、彼らが福音を知らされずに、死後神の裁きを受けて、永遠に滅びるなら、宗次郎やテレサは彼ら民衆に最善を与えたとは言えません。
 ★パウロは民衆に最高の神の愛を届けるために、人々の迫害に耐えて、福音を語り続けたのです。
 ★愛そのものであられる主イエスは人々を滅びから救わんがために彼らの罪を暴きました。主イエスは彼の兄弟達に言っておられます。
 
「世はあなた方を憎むことは出来ないが、私を憎んでいる。私が世の行いの悪いことを、証ししているからである」(ヨハネ7:7)
 そのため、主イエスは、人々から憎まれ十字架に掛けられたのです。人々に福音(罪とそこからの救い)を語らなければテレサのように人々から喝采を受け、地上での最高の栄誉を与えられます。しかし、皆の人々からほめられる人は神様から嫌われるのです。
 ★
「人々の間で尊ばれるものは、神の御前では忌み嫌われる」(ルカ16:15)
 「人々が皆あなたがたをほめる時は、あなたがたは災いだ。彼らの先祖も、にせ預言者たちに対して同じことをしたのである」(ルカ6:26)

 ★御言葉の実践が伴わない伝道者・牧師・キリスト者の言葉だけの伝道は無力です。しかし、御言葉の伝道を伴わない善行は人々に感動を与えはしても、人を救うことは出来ません。
 ★主イエスも十字架の死に至るまで父の御心への従順な行いと共に、御国の福音の説教を怠ることはなさいませんでした。
 今日はここでストップします。良いお年を。

       東浦三一キリスト教会  新谷 寛

聖書の〈愛の定義〉
 「愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みを抱かない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。愛はいつまでも絶えることがない」
(Tコリント13:4〜8)



筆者から5「本日予定していた更新作業のこと」
     キリスト紀元2007年 2月 20日

 ★当方のパソコンのCD書き込み・読み込みの性能が不良で、その原因は何だろうとパソコンを再セットアップしたり、ファイァウォールソフトを削除したりしているうちに、ホームページビルダーというHPソフトをCD-ROMドライバーにいれたまま、ほかの作業を続けてしまい、そのCDソフトを駄目にしてしまいました。
 ★そこで、パソコン店で新しいバージョンソフトを買おうと手に取って注意書きを読んでみると、旧バージョンCDソフトを持っていない人はその新ソフトは使えないことが分りました。
 ★今までのPCはCDーROMドライブが不良でも、インターネットやメールや文書作成能力は十分あるので、文書の保存はフロッピーディスクなどで代用して十分使えるのですが、ホームページを続けるために、やむなく新しいパソコンとホームページソフトを本日神戸三宮で購入してこの文章を書いているところです。

 ★そういう訳で、本日のために予定したテーマの文章を作成する余裕がなく、次の更新は3月1日に公開できると思います。
 ★こういうこともあろうかと、「更新は毎月10日、20日、30日の3回行います」と公約はしてきませんでしたが、気持ちとしてはそのつもりでやって来ましたし、そのつもりでこれからも努めてゆくつもりです。

 ★先日、関西旅行に来日したアメリカのクリスチャン青年でマイクロソフト社社員のA君がインターネットで当ホームページを「awajishima」をキーワードにして見つけたそうで、訪ねて来ました。私は英語の読み書きは何とか出来ますが、speaking & hearing は全くの苦手で、四苦八苦しました。若い方々はこれからますます必要になりますから、オールラウンドの英語力を身に付けるように励んでください。
 ★世の終わりは近いから、日常の地道な仕事や勉学は無駄だと考える人がいるなら、その人の考え方は不健全であり、聖書にしるされたキリストの御心に反しています。キリストの再臨を待望しつつ、日々の務めに励むことが主を喜ばすことです。



メールはこちらに



URL http://31church.net


交わりのページ(2)
2