ゴスペル よい知らせ キリストをあなたに @31church.net
 ★「悲しんでいる人たちは、幸いである、彼らは慰められるであろう。」(マタイ5:4)
 
★「あなたがた今笑っている人たちは、災いだ。悲しみ泣くようになるからである。」(ルカ6:25)
 ★「神の御心にそった悲しみは、悔いのない救いを得させる悔い改めに導き、この世の悲しみは死を来たらせる。」
(2コリント7:10)
 「死ぬる日は生まるる日にまさる。悲しみの家にはいるのは、宴会の家にはいるのにまさる。死はすべての人の終わりだからである。生きている者は、これを心にとめる。悲しみは笑いにまさる。顔に憂いをもつことによって、心は良くなるからである。賢い者の心は悲しみの家にあり、愚かな者の心は楽しみの家にある。」
(伝道の書7:1〜4)
 
 ★健康に恵まれ、才能に恵まれ、家族に恵まれ、仕事に恵まれ毎日を楽しく笑って過ごしている人々は世間の人々の目に幸せな、恵まれた人々と見られています。しかし、主は「そういう人々は災いだ、泣くようになるから。」と言っておられます。なぜなら、そのような人々はこの世の生活に満足し切って、来世のことも神のことも考えたり願ったりすることなしに一生を終えるからです。そして、世の終わりのキリスト再臨の裁きの日を何の心の準備もなく迎えることになるからです。
 ★朝があり夜があるように、元日があり大晦日があるように、人にも誕生の日があれば死ぬ日があります。しかし、多忙な日々と幸せな人生は、自分が死ぬべき者であることを忘れさせ、永遠に地上に生きて行く者であるかのような錯覚に陥らせます。他方、身内の死、自分の重大な病気、失業、自分の犯した過ちなどに直面して悲しみ苦しむことによって、人はふと立ち止まって、自分は何者か、何のために生きるのか、神は居るのか等の人生の根本問題に目が開かれるチャンスに出会うのです。
 ★上記マタイ5:4の「幸いな悲しみ」には二種類あります。一つは死を悲しむ悲しみ(この悲しみは、さらに幸いな次の悲しみへの入り口です)、二つ目は罪を悲しむ悲しみです。主イエスは、十字架を背負って刑場へ歩んで行かれる途中、泣きながら後について来る女達の方に振り向いて言われました、「
エルサレムの娘達よ、私のために泣くな。むしろ、あなたがた自身のため、また自分の子供たちのために泣くがよい(ルカ23:27、28)
 ★キリストの十字架上の死を悲しむ悲しみが、自分の罪を悲しむ悲しみに変わる時、その悲しみは幸いな悲しみとなるのです。人類に死をもたらしたものは罪であり、罪のない御子キリストを十字架につけたのは私達の罪だからです。十字架上のキリストの心臓を刺したローマ兵の槍が私達の心を刺す時、つまり、世の不幸を悲しむ悲しみが自分の良心を刺す罪の悔い改めの痛みとなる時、キリストにある罪の赦しと幸いな永遠の命があなたに来るのです。

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キリスト紀元2003年 6月 1日公開

〈8〉 いま悲しんでいるあなたへ
あなたへのメッセージ