ゴスペル よい知らせ キリストをあなたに @31church.net
 ★「私たちの参加すべき競争を、耐え忍んで走りぬこうではないか。信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。」(ヘブル12:1,2)

 ★人が霊的につまずくという場合、事実につまずく場合と事実を誤解してつまずく場合とが考えられます。聖書を見ますと、主イエスに従っていた人々の中に、主イエスにつまずいた人々がいたことがしるされています。その中の二つのケースを上げますと、一つは主が「私には自分の命を捨てる力(十字架上で死ぬ権威)があり、またそれを再び得る力(復活する権威)がある」と言われた時、人々はその真理のみことばにつまずいて、「かれは悪霊に取り付かれて、気が狂っている。」と言ったと記されています
(ヨハネ10:17〜21)。もう一つの場合は、主が「私の肉を食べ、私の血を飲む者には永遠の命がある」と言われた時、多くの弟子たちが「これは、ひどい言葉だ。誰がそんなことを聞いておられようか。」と言って主のもとを去って、もはやイエスと行動を共にしなかった、とあります(ヨハネ6:41〜66)。同6:62,63で主が解説しておられるように、「肉を食べ、血を飲む」とは霊の言葉であり、「主イエスの十字架のあがないを信じる」ことを表現することばです。
 ★人が教会の牧師や信徒につまずく場合も事実につまずく場合と誤解によってつまずく場合が考えられます。牧師も信徒もイエス様と違ってただの人ですから過ちを犯すことがあります。あなたが牧師や信徒の正しくない言動によってつまずいたのであれば、その加害者側の一員としてあなたに謝ります。筆者もキリスト者として牧師として人をつまずかせた事は一度もないと言い切る自信はないからです。あるいは忘れていることや、つまずかせた事実に全く気付いてなかった場合もあるかもしれません。主の十字架の血とよみがえりの力に寄り頼み、日々赦して頂くしかありません。
 ★上記のイエス様の言葉につまずいた弟子たちのように誤解によって牧師につまずく人々もいます。牧師が教会を留守にしている間に「牧師にセクハラを受けた」と礼拝後、会衆に向かって訴える女性求道者が現れたとします。聖書によれば「長老(牧師)に対する訴訟(訴え)はふたりか三人の証人がない場合は受理してはならない」
(1テモテ5:19)とありますように、しかるべき手順を踏んで事実かどうかを確認しなければなりません。事実の確認を経ない内に、一方的に訴えだけが先行すれば、心の定まらない人たちをつまずかせ、教会を去らせる結果になります。往々にして教会が大いに恵まれている時、サタンが教会破壊工作に暗躍するということがあるのです。
 ★あなたが教会の誰かに何らかの理由でつまずいたのであれば、マタイ18:15〜20に従って、直接相手の人とその問題について話すのが最善だと思います。その人が自分の非を認めないなら牧師や長老に相談したらいいと思います。どうしてもその教会に戻りたくないなら、他の聖書的に健全な教会に転会するか、一時的にでも参加し、そこで礼拝を守り続けるべきです。
 ★狡猾な敵サタンが「吼えたける獅子のように食い尽くすべきものを求めて歩き回っています。」
(1ペテロ5:8)。「私は教会を離れていても大丈夫、一人で信仰を守って行ける。」という思いは重大な誤解です。筆者の知人のある老人は若い頃洗礼を受けたキリスト者でしたが、何かの理由で教会を離れて、異教徒と付き合っているうち偶像礼拝に係わりをもち、今では「洗礼を受けたのは若気の至りでした」と言うようにまでなってしまいました。ぶどうの小枝はしっかりとキリストの幹(教会)につながっていないと生きて実を結ぶ生活を送ることはできません。
 ★主イエスに「わたしのもとに来なさい。」と招かれたのですから、しっかり主を見すえて歩んでいる限り、つまずくことはないのです。ペテロのように、イエス様以外のものに気をとられていると、おぼれるのです
(マタイ14:22〜33)



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キリスト紀元2003年 7月 30日公開


〈13〉教会につまずいたあなたへ
あなたへのメッセージ
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