ゴスペル よい知らせ キリストをあなたに @31church.net
 ★「見よ、私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にいるのである。」(マタイ28:20)

 ★「友あり遠方より来るまた楽しからずや」と古人が歌った歌を引き合いに出すまでもなく、気の置けない友人との交わりは楽しいものです。人にとって友人に対する信頼感と期待感が大きければ大きいほど、それを失った時の孤独感は深刻なものとなります。
 ★自分の周囲から友人・知人が次々と世を去ってゆく時に感じる老人の孤独感は壮絶なものがあると高名な老映画監督がラジオで語るのを聞きました。老人に限らず、さまざまな事情で友人を失うことは人にとってつらい事です。
 ★聖書の登場人物たちも親友の裏切りに会うなどの体験を語っています。旧約聖書では、イスラエルの第二代王ダビデが病の床に伏した時、同情を期待した友人が彼を助け起こすどころか、彼に向かってかかとを上げ、けり落とそうとされた体験を歌っています
(詩篇41:9)
 ★新約聖書では、使徒パウロがキリスト信仰の故に不信仰なユダヤ人から訴えられ、法廷で弁明する時、自分の弁護に尽力してくれるものと期待していた人々から裏切られ見捨てられるという苦い体験を記しています
(2テモテ4:16)
 ★主イエスご自身、愛する弟子たちに裏切られ、孤独感というものを十分味わわれました。金のために主を敵の手に売り渡したイスカリオテのユダ、主が敵の手に捕らえられるとクモの子を散らすように逃げ出した弟子たち、「主と一緒に死ぬことはあっても、主を知らないなどとは決して申しません」と大見得を切っていながら三度も主を否認したペテロ。人の心の中に何があるのか、人をよくご存知だった主ではありますが
(ヨハネ2:24,25)、人としての主のみ心が痛まなかったはずはありません。
 ★主イエスは、ご自身罪のない方でありながら、十字架の上で私たち人類の罪を一身に引き受け、罪の呪いも受けられました
(ガラテヤ3:13)。その故に、主はこれまで一時たりとも絶たれることのなく楽しんで来られた、父なる神との親しい交わりまで絶たれ、人との交わりのみでなく、神との交わりを失った者の壮絶な絶望感・孤独感を味わわれたのです。主が十字架上で叫ばれた「エリ、エリ、レマサバクタニ」(「わが神、わが神、どうして私を見捨てられたのですか」)という言葉は(マタイ27:46)その時味わわれた主の肉体の痛みだけでない霊魂の痛切な痛みからくる叫びだったのです。
 ★「主ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練の中にある者たちを助けることがお出来になるのです。」
(ヘブル2:18)。賛美歌312番「いつくしみふかき」の3番はこう歌っています。
 「いつくしみ深き 友なるイエスは 変わらぬ愛もて 導きたもう 世の友われらを 捨て去るときも 祈りに答えて いたわりたまわん」
 ★ご自身孤独の何たるかをご存知の主が、私たちと常に共におられ、祈りに答えて慰め励まし、助け支えてくださるとは何と幸いなことでしょう。


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キリスト紀元2003年 7月 20日公開


〈11〉孤独に悩むあなたへ
あなたへのメッセージ
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