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   みことば黙想

〈9〉ヨセフに見る苦難と栄光

 ★ヨセフの苦難と栄光の生涯は、キリストの受難と栄光の預言的型(雛形)です。兄弟の悪巧みによって、その名もユダの提案で銀貨20シケル(キリストの場合は30シケル)で売り渡され、エジプトで奴隷となり(キリストも僕の姿で世に来られた)、冤罪で牢屋につながれ(キリストも無実の罪で死刑の宣告を受け、十字架にかけられ)ました。
 ★キリストは死後、復活、昇天の後、父なる神の右の座に着かれました。ヨセフは神の摂理によって、牢屋から引き上げられ、一挙にエジプトの宰相の座に任命されました。さらにヨセフはエジプトから家族、特に老父を迎えるために車を送っていますが、この車は父なる神から出て、子なる神キリストに遣わされて、キリストの家族・教会を天の御国に護送する役目を果たして下さる聖霊なる神の雛形です。
 ★ヨセフがキリストの雛形であるとは言え、すべての雛形や比喩が本体と完全に一致しないように、ヨセフとキリストが完全に一致しないのは当然です。ヨセフは私たちと同じ人間であり、キリストはまことの人となられた神だからです。
 ★さて、苦難の時期のヨセフと栄光の座に引き上げられてからのヨセフとを比べると、そこに大きな変化が見られます。それは、苦難の時期のヨセフには常に「主が共におられた」
(創世記39:3、21、23)のに、栄光の座に着いたヨセフから主は去って行かれ、その為にヨセフは将来を案ずる異教徒の為政者たちの一人のように、占い(または、まじない)を始めたことが明らかになっています(創世記44:15)
 ★ヨセフの身の上に起きた、この重大な変化は何に原因があったのでしょうか。それを知るために、彼が牢屋から引き上げられ、パロの夢の解き明かしをして、エジプトの宰相の座に着いた直後の彼の言動に注目してみましょう。彼はパロからザフナテ・パネア(「命の糧」の意)と命名され、オンの祭司(エジプトの偶像・太陽神の祭司)ポテペラの娘アセナテを妻として与えられた時点でエジプト人として生きることを決意させられたようです。
 ★異教徒との結婚が主の臨在を見失った大きな要因でした。ききんの年年が来る前に彼にふたりの男子が生まれました。彼がふたりの子らに付けた名前がこの時の彼の心境を映し出しています。長男にマナセ(忘却)と名付けて言いました。「神が私にすべての苦難と父の家のすべての事を忘れさせた」。次男にはエフライム(実り)と名付けて言いました。「神が私を悩みの地で豊かにされた」
(同41:51,52)
 ★異国で苦難に耐えながら、健気にひとり黙々と信仰の道を歩んできたヨセフではありますが、苦難が去り栄光の時代に移るや緊張が解けて、父の家の事と共に、主に対する純潔も忘れ去ってしまったようです。
 ★このヨセフの心境の変化を思う時、私たち人間にとってこの世で苦しむことが如何に幸いなことであり
(詩篇119:71;使徒14:22)、この世で栄光の座に着くことが如何に危険な落とし穴に満ちているかを思い知らされます。
 ★ヨセフの心境の変化についての考察から転じて、キリストの雛形としてのヨセフの栄光の座に注目してみましょう。ヨセフがエジプトの宰相に、つまりエジプト王パロの右の座に任じられた時、パロはこう言っております。「あなたは私の家を治めてください。私の民はあなたの言葉に従うでしょう。私はただ王の位だけあなたに勝る」
(創世記41:40)。その後、ヨセフはエジプトの宰相として絶大な権威を振るう者となりました。
 ★キリストが復活・昇天後、父なる神の右の座に着いたということは、エジプトでヨセフの許しがなければ誰も手足を上げることもできない
(同41:44)ように、御子イエス・キリストは今、天でも地でも絶大の権威を持っておられ(マタイ28:18)、その力あるみことばで万物を保っておられるお方であること(ヘブル1:3)を忘れないでおきたいものです。父ヤコブ亡き後、兄弟に復讐するのではと恐れられたヨセフと違って、私たちのヨセフ・キリストは十字架の死で愛を示された方であって、このキリストの前に大胆に近づくことができることは何と幸いなことでしょう(ヘブル4:16)。


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キリスト紀元2003年 6月 1日公開


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