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   みことば黙想

  〈11〉キリストの復活のからだについて


〈10〉腹から生ける水の川が

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イエスは立って、叫んで言われた、「誰でも渇く者は、わたしのところに来て飲むがよい。わたしを信じる者は、聖書に書いてある通り、その腹から生ける水が川となって流れでるであろう」。これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊を指して言われたのである(ヨハネ7:37〜39)

 ★腹と訳されているギリシャ語「コイリヤ」は腹の他、子宮、心臓の意味があります。新改訳は「心の奥底から」と意訳し、欄外の注に、直訳「腹から」と小さく書き添えていますが、そうではなく、逆に「腹から」を本文に、「心の奥底から」を欄外の注に書き添えて欲しかったと思います。
 ★霊魂や聖霊の宿る人体の部位として、聖書は腸、心臓、子宮などの内臓を挙げています
(エレミヤ31:20;詩篇40:8;創世記43:30;ヨブ32:18,19;1ヨハネ3:17)
 ★「記憶する心臓」
(クレア・シルヴィア&ウイリアム・ノヴァック著角川書店1998年出版)という「ある心臓と肺臓との同時移植を受けた患者の手記」が本となって出版されています。その本の中で、著者がその心肺提供者の夢を見てその人の名前を知ったり、自分の嗜好がその人の嗜好に変化したり、と言った体験を書いています。この手記を読んだ医学者西原克成氏は「心は内臓に宿る」事を示唆しているとしています(西原克成著「内臓が生み出す心」2002年日本放送出版協会版)。
 ★物質世界の科学的研究に比べて、心や精神の研究はまだまだこれからの分野のようです。研究が進むに従って、このように聖書のことばの真実性がこれからも、ますます立証されることが予想されます。
 ★また、脳死をもって人の死と断定し、脳死と診断された患者から直ちに臓器を抜き取る欧米の医療現場の慣例の正当性に疑念を抱かざるをえません。 


〈11〉キリストの復活のからだについて

 ★「その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人たちを恐れて、自分たちのおる所の戸をみな閉めていると、イエスが入って来て、彼らの中に立ち、『安かれ』と言われた」ヨハネ20:19

 ★私達キリスト者の信仰と希望が掛かっているキリストの復活とそのからだについて考えてみたい。キリスト再臨の時、私達キリスト者もキリストの復活のからだと同じからだによみがえると約束されている(ピリピ3:21)と同時に、キリスト復活が万物の復活(再創造)の初穂(1コリント15:20;使徒17:31)でもあるので、聖書が描くキリストの復活のからだを聖書の表現通りに受け止めることは大事なことです。
 ★上記ヨハネ20:19の「内側から鍵を掛けた部屋に復活の主が入って来られて、弟子たちに挨拶された」という聖句の注解の中でカルヴァンは「復活の主は閉ざされた戸が閉じたままのところを通過されたという解釈は何の堅実さもない夢想をかきたてるばかりの子供じみた解釈であり、使徒12:10のペテロの出獄の奇跡と同じように奇跡の力で扉を開いて入ってこられたのだ」と主張しています。
 ★しかし、キリストの復活のからだについて、使徒パウロが1コリント15:39〜44で天上のからだ、栄光のからだ、御霊のからだ等と表現している様に、キリストの復活のからだは、いわば五次元のからだであり、この世の事象に制限を受けないからだなのだから、ペテロの出獄の時とは違って、鍵の掛かっていた部屋に、扉を通過して入って来られたと理解するのが、素直な解釈だと思われます。ルカ24:31でエマオの途上で復活の主に出会った二人の弟子たちが食事の時に眼が開けて主だと分かった途端に主が見えなくなったとの聖句も復活の主の御からだの異次元性がうかがえます。
 ★霊のからだで、扉を通過したというと、それではからだが無いのかというと、そうでなく、弟子たちが手で触れることが出来たし(ルカ24:39)、食事も共に出来た(ルカ24:42,43)現実のからだをもっておられたのでした。地上の物体を通過できるのに人が触れることの出来るからだというものは、今の世界に生きている私たちに理解しきれませんが、三位一体が私たちの今の頭で理解しきれないのと同様です。
 ★メリル・テニーがヨハネ伝注解(聖書図書刊行会版)の中で、天使が墓石を転がして墓の入り口を開けたのは、復活の主を外に出すためでなく(天国のからだを持たれた主は、墓石を通過されたのであり)、復活の証人になるはずの弟子たちを中に招き入れるためであったとし、墓の中に残されていた遺体を巻いた衣はあたかもセミの抜け殻のように置かれていたのだというキリストの復活のからだ観は正解であろうと考えます。
 ★カルヴァンのキリストの復活のからだ観や、異言の理解の仕方には、古代ギリシャ以来の西欧の精神に見られる合理主義の影響が濃厚であると言わざるを得ません。カルヴァンの聖書に精通するその度合いの深さには敬服かつ驚嘆させられるものがありますが、天才といえども彼も人間ですから誤りもあります。筆者が改革派に在籍していた時から「カルビン(カルヴァン)主義者」という名称に違和感を感じた理由はこんなところにもあります。


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キリスト紀元2003年 6月 1日公開


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