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   みことば黙想

〈7〉月下美人とクリスチャン人生

 ★「声が聞こえる、『呼ばわれ』。私は言った、『何と呼ばわりましょうか』。『人はみな草だ。その麗しさは、すべて野の花のようだ。主の息がその上に吹けば、草は枯れ、花はしぼむ。たしかに人は草だ。草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変わることはない』。」
(イザヤ40:6〜8)

 ★先日、家内の中学時代の同級生でバラ園を経営している人から電話で、「月下美人が今夜咲くから見に来ないか」という誘いがあり家内のお供で筆者も見に行きました。
 ★夜咲く花という予備知識以外何も持たずに初めて見て、その花の風変わりな咲き方に驚きました。どのように風変わりかと言うと、普通の花は幹または枝から小枝(花柄
かへい)が出てその先端に花をつけますが、この月下美人と言う花は、大きなうちわの様に広くて分厚い葉っぱ(実はこれがこの植物の枝)の縁から伸びて出できた太い小枝(花柄)の先端に大きく咲くのです。その白く大きくて派手な花は、一晩で散ってしまうのだそうです。バラ園の温室の中で趣味で育てていて、サボテンの仲間だということです。
 ★同じ花でもバラなどの普通の花は切花にしても咲いた状態を何昼夜か保って人の目を楽しませてくれます。これに対して月下美人は咲く時間が夜の7〜8時頃で朝までにはしぼんで落ちてしまいます。人に見てもらうためでなく、自分を造ってくださった神様に見ていただくだけで十分という気持ちで咲いているかのようです。
 ★最近、アメリカの成功至上主義的考え方が日本のキリスト教界にも蔓延しているようです。数字で示せる実績を上げないと肩身が狭くなるような気分にさせられます。実績を上げることは確かにすばらしいことだし、願わしいことですが、金持ちと貧しい人とは共に主に造られたとあるように
(箴言22:2)、大きく強い教会と小さく弱い教会は共に主に造られたものです。「貧しい者をあざける者はその造り主を侮る」(箴言17:5)とあるように、弱小教会をさげすむ者は、造り主を侮るのです。
 ★「人々の間で尊ばれるものは、神の前では忌み嫌われる」と主は言われました
(ルカ16:15)。人々が成功者としてもてはやす世の多くの者を、神は忌み嫌われるのです。世の終わりの日、再臨の主の前に呼び出された多くのクリスチャン・牧師たちは自分の実績をたずさえて口々に自分の天国入国の正当性を主張します。しかし、主は言われます。「わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国に入るのでなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、入るのである。・・・その時、私は彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがを全く知らない。不法を働く者共よ、行ってしまえ』」(マタイ7:21〜23)
 ★「多くの人を義に導く者は、星のようになって永遠に至る」
(ダニエル12:3)とあります。迫害と苦難の数々を経て多くの人々を義に導いた使徒パウロは間違いなく天国で永遠に輝くスターたちの一人でしょう。このパウロも地上にいる間は「人に宣べ伝えておきながら、自分が失格者になることのないように、自分のからだを打ちたたいて従わせていた」と告白しています(1コリント9:27)
 ★「後の者が先になり、先の者が後になる」
(ルカ13:30)とあるように、地上の人間社会の秩序は天国で逆転していることがあるでしょう。「謙遜は栄誉に先立つ」(箴言15:33)。「誰でも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」(マタイ23:12)。これが聖書の大原則の一つです。地上の人生が成功であったか失敗であったかは、再臨の主が判定されることですから、私たちの生き方は月下美人のように造り主である主を喜ばすために、主が私たちに示しておられる生き方、すなわち手本であるキリストに似た者になれるようにひたすらみことばに忠実に生きてゆくのが最善な生き方ということになります。


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キリスト紀元2003年 6月 1日公開


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