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   みことば黙想

〈21〉 士師エフタとその娘と燔祭(はんさい)


聖書

 
29「時に主の霊がエフタに臨み、エフタは、ギレアデおよびマナセを通って、ギレアデのミズパに行き、ギレアデのミズパから進んでアンモンの人々のところに行った。

 30エフタは主に誓願を立てて言った、『もしあなたがアンモンの人々を私の手に渡されるならば、31私がアンモンの人々に勝って帰る時に、私の家の戸口から出てきて、私を迎える者は誰でも主の者とし、その者を燔祭として捧げましょう』。

 32エフタはアンモンの人々のところに進んで行って、彼らと戦ったが、主は彼らをエフタの手に渡されたので、33アロエルからミンニテの付近まで、二十の町を撃ち破り、アベル・カレミムに至るまで、非常に多くの人々を殺した。こうしてアンモンの人々はイスラエルの人々の前に攻め伏せられた。

 34やがてエフタはミズパに帰り、自分の家に来ると、彼の娘が鼓(つづみ)を持ち、舞い踊って彼を出迎えた。彼女はエフタの一人子で、他に男子も女子もなかった。35エフタは彼女を見ると、衣を裂いて言った、『ああ、娘よ、あなたは全く私を打ちのめした。私を悩ます者となった。私が主に誓ったのだから改めることは出来ないのだ』。

 36娘は言った、『父よ、あなたは主に誓われたのですから、主があなたのために、あなたの敵アモンの人々に報復された今、あなたが言われた通りに私にしてください』。

 37娘はまた父に言った、『どうぞ、この事を私にさせてください。すなわち二ヶ月の間私を許し、友達と一緒に行って、山々を行き巡り、私の処女であることを嘆かせてください』。38エフタは『行きなさい』と言って、彼女を二ヶ月の間、出してやった。
 彼女は友達と一緒に行って、山の上で自分の処女であることを嘆いたが、39二ヶ月の後、父の元に帰って来たので、父は誓った誓願の通りに彼女に行った。彼女はついに男を知らなかった。

 40
これによって、年々イスラエルの娘たちは行って、年に四日ほどギレアデ人エフタの娘のために嘆くことがイスラエルの習わしとなった」。
        
士師記11:29〜40


T.士師エフタとその娘の物語・要旨

 ★エフタはアンモン人との戦争を前にして主に誓願を立てて言いました。「もし主がアンモン人を私の手に渡して下さるなら、勝って家に帰る時、我が家の戸口で私を出迎える者を主への燔祭として捧げます」。
 ★彼がアンモン人との戦いに勝利して家に帰ると、彼の一人娘が祝賀の踊りを踊りながら彼を出迎えたのでした。
 ★予期していなかった出来事に彼は打ちのめされましたが、2ヶ月の猶予の後、エフタは主への誓約を娘に対して実行しました。

U.士師記の時代と背景
 ★士師(ヘブル語/シャファト)とは預言者サムエル以前の時代の神政国家的民族イスラエルの指導者のことで、日本語聖書は「さばきづかさ」英語聖書はjudge(裁判官・判事・審判)と訳しています。
 ★士師記の時代、すなわち士師オテニエル(3:9)からサムソンの時代まではBC1400〜1100年の約300年だったと考えられています。エフタはBC1150年頃から6年間イスラエルを治めた
(12:7)士師でした。
 ★モーセの後継者ヨシュアの死後、ユダの王ヨシアの時代に大祭司ヒルキヤが主の宮でモーセの律法の書を発見するまでの時代(士師記の時代はこの時代に含まれる)は、いわば「みことばを聞くことのききんの時代」で律法の書は人々の前で読み聞かせられていなかったようです。その上、王もなく、人々は自分の目に正しいと見ることを勝手に行っていた
(士師記21:25)、士師エフタの時代はそういう時代でした。

V.士師エフタ、アンモン人と戦う
 ★士師エフタの時代にイスラエルの多くの人々はバアルやアシタロテなどの異教の神々(偶像)に仕え、まことの神・主を捨てて拝むことを怠っていました。
 ★イスラエル民族を取り巻く異邦人たちは、彼らの偶像の神々に自分の子供らを捧げる、いわゆる人身御供
(ひとみごくう)を行っていました。
 ★異教徒に習って偶像礼拝を始めたイスラエルに怒って、主は彼らをペリシテ人やアンモン人の手に渡されたので、イスラエルは彼らの圧制下で大いに悩み苦しみました。
 ★その悩みの中でイスラエルは偶像礼拝の罪を悔い改め、主に救いを求めました。
 ★その祈りに答えて、主は族長ギレアデが遊女に産ませた男子エフタを士師として立て、イスラエルに与えられたのでした。

W.エフタの誓願実行方法についての主要な二つの解釈
 A.
〈ジョン・ウェスレイの解釈〉
 ★ジョン・ウェスレー(1703-1791)はメソジスト教会の創設者です。
 ★彼は「エフタは娘を燔祭として実際に捧げたのではない、生涯未婚で主に仕える者として主に捧げたのだ」、としています。新約聖書ヘブル書11:32で信仰の偉人の中に数えられているエフタが「殺人」しかも「親族殺人」を犯したはずがない、と彼は考えます。
 ★この解釈の根拠として、彼はエフタの娘が嘆いたのが自分の死ではなく処女性であったこと(37節)、そして39節で「彼女はついに男を知らなかった。」と言う記述とを上げています。
 ★しかし、エフタの娘がいわば出家して生涯独身で主に仕える身となったとするなら、40節の

これによって、年々イスラエルの娘たちは行って、年に四日ほどギレアデ人エフタの娘のために嘆くことがイスラエルの習わしとなった」

 
と言うのは少々大げさ過ぎる反応になるのではないでしょうか。

 ★それに、士師記11章後半の上記聖書箇所がかもし出す悲壮な雰囲気は、ウェスレイの「生涯処女として献身」と言うような安直な解釈を払拭する迫力があります。

 B.〈マシュー・ヘンリーの解釈〉
 ★マシュー・ヘンリー(1662-1714)はイギリスの長老派教会牧師で穏健かつ健全にして霊的な聖書注解者です。
 ★彼はエフタが2ヶ月の熟慮の末、主への誓約通り実際に燔祭として娘を捧げたと理解しています。
 ★燔祭とは旧約時代のイスラエル民族が主への礼拝の時に火によって羊・牛などを奉げる礼拝行為を指します。
 ★エフタの娘が自分の処女であったことを嘆き、彼女が「男を知らずに過ごした」事が書かれているのは、その時から生涯未婚で暮らしたことを表しているのではなく、彼女がエフタの一人娘であるため、ユダヤ社会の女性の名誉である父の家に子孫を残すという務めを果たすことなく世を去ることの無念さを表していると彼は解釈します。

 C.エフタの誓願と燔祭についての総論
 ★エフタがうかつな誓願のために自分の唯一人の愛娘を死なせる結果を招いたのは、彼の律法に関する知識と理解の乏しさに第一因があったと思われます。
 ★異教の神々に捧げられた人身御供
(ひとみごくう)についての聖書のことばはエレミヤ書にあります。

 
「(主は言われる、)また(ユダの民は)ベンヒンノムの谷にあるトペテの高き所を築いて、息子・娘を火に焼いた。私はそれを命じたことはなく、またそのようなことを考えたこともなかった。」エレミヤ7:31

 ★
奉納物として主に捧げるものについて、律法にはこう書いてあります。

 「またすべて人のうちから奉納物として捧げられた人は、あがなってはならない。彼は必ず殺されなければならない。」レビ記27:29


 ★上記レビ27:29の命令はエフタの燔祭を是認する教えではなく、約束の地カナン入国後、主の命によって偶像礼拝の罪の爛熟した民、七民族を滅ぼすことに関する教えです
(申命記7:1,2)。下記は、ヨシュアが主の命によりその7民族の一つに属するエリコの町を6+7=13回まわって滅ぼした時、エリコの町のすべてを主への奉納物としたことを描く文の一部です。この記事の後で、アカンという名の男が奉納物を横領して、彼自身と家族が奉納物となる事態を引き起こしています(ヨシュア記7章)

 
「7度目に、祭司たちがラッパを吹いた時、ヨシュアは民に言った、『呼ばわりなさい。主はこの町をあなた方に賜った。この町と、その中のすべてのものは、主への奉納物として滅ぼされなければならない。ただし遊女ラハブと、その家に共にいる者はみな生かしておかなければならない。我々が送った使者たちをかくまったからである。また、あなた方は、奉納物に手を触れてはならない。奉納に当たり、その奉納物を自ら取って、イスラエルの宿営を、滅ぼされるべきものとし、それを悩ますことのないためである。」  ヨシュア6:16〜18

X.エフタの燔祭事件から学ぶこと

 
1.エフタの行為はなぜアブラハムの場合のように制止されなかったのか
 ★アブラハムがモリヤの山で一人息子のイサクを捧げようとした時、み使いに制止されたのに
(創世記22:1〜19)、エフタの場合は主が彼の行為を制止するためにみ使いを派遣されなかったのは何故でしょうか。
 ★それは、アブラハムの場合は、主から出たテストであったのに対して、エフタの場合はうかつではあったが彼自身から出た誓願でした。
 ★エフタが家に帰ったとき、いつも自分を出迎えてくれる僕たちの一人を捧げても良いと彼は考えたかも知れません。
 ★主はエフタに自分の口から出た誓願の結果を自分で刈り取らせることで、後世の私たちへの教訓としようとなさったのでしょう。
 ★エフタはいわば立てる必然性のない誓願をたてることで自分と家族を苦しめました。

 .聖霊によって歩む人はみことばを良く学び理解しなければならない
 ★エフタが誓願を立てた時、彼は聖霊の感動の下にあり、主の霊に導かれていました
(上記聖書テキスト29節)しかし、主の霊は常にみ言葉と共に働かれます。


 「私があなた方に話した言葉は霊であり、また命である」
(ヨハネ6:63)

 ★エフタの時代はみ言葉を聞くことのききんの時代でした。そのため、み言葉(律法)の正確な知識と理解に欠けていました。それで、彼は偶像礼拝者の人身御供
(ひとみごくう)と間違われるような行為に陥らざるを得ない状況に自分を追い込んでしまったのでした。
 ★エフタが私たちに残した教訓の一つは、
「御霊によって歩む」と言うことは、同時に聖書を日々熱心に学び主の御心を深く知ることであり、自分や家族や周りの人々に余分な苦しみを味わわせるような事態を招かない生き方をすることだ、と言う事です。

 
3.主が人を評価なさる時、その人の置かれた状況に応じて評価される
 ★エフタの行為を非難する記事は聖書のどこにも見当たらず、かえって新約聖書の中で信仰の偉人の一人として名が上げられています
(ヘブル書11:32)
 ★エフタの行為は今の日本であれば、親族殺人罪として有罪となる行為ですが、2000-3500年前の聖書の時代では信仰の偉人の行為なのです。
 ★すなわち、エフタが心に決めた主への誓約を最愛の一人娘の命にかけて守ったことは彼の時代の倫理的基準では賞賛に値することでした。
 ★エフタが一人娘を捧げたのは、彼の性急な誓いに基づくものではあったが、父の誓願を聞いた娘が自発的にその請願が自分に実行されることを願い
(36節)、二ヶ月の猶予期間の間、父娘共に熟慮し、祈り、周囲の人々の意見を聞いた上でのことだったと思われます。
 ★親子共に、自分たちの幸せより国の幸福と主の栄光を優先させ、誓ったことを自分の損害となっても守ろうとしたこと
(詩篇15:4後半)は、当時の旧約の民イスラエルとしては賞賛に値する行為だったのです。
 ★主は多く与えられた者からは多く求められるが、多く与えられなかった人からは、多くを求めることはなさらないということです
(ルカ12:48)

 4.自分の口から出た言葉にエフタのように最後まで責任を取ろうとする態度は人間として信仰者として見上げたものであること
 ★自分の言葉に責任を取らない現代の多くの人々にとって、エフタの史実は強烈な警告であり教訓です。
 ★軽々しく誓わないこと、そして神や人に誓ったことは自分の損害になっても守る姿勢を聖書は求めています。

「誓ったことは自分の損害になっても変えることなく、・・・これらのことを行う者はとこしえに動かされることはない」(詩篇15:4後半〜5)

 ★聖書の神のことばの約束を根拠に、ヤボクの渡しのヤコブのように
(創世記32:24〜30)、また不正な裁判官の前に訴え出るやもめのように(ルカ18:1〜8)主への祈りの叶えられることをあくまでも願うなら、祈る私たちの側にも、主への祈りの中で誓った言葉には責任を取る誠実な心構えが求められます。


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キリスト紀元2006年 9月 20日公開


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