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    話の泉

〈1〉聖書も神の力も知らない人々

 
★人間の心理に関するある本を読んでおりましたら、その中に次のようなことが書かれておりました。「日本では、いまだに『アメリカ的な自由放任・創造性重視の教育がいい』と思っている人が多いが、当のアメリカではそれがとっくに時代遅れの考え方になっている。自由放任・創造性重視の教育のもたらす弊害を反省し、昔の日本のように厳しい校則や制服などを導入し始めている。人間関係についても同様で、相手の気持ちを察して気を利かせたりせず、自分の思ってることを口に出してはっきりと主張するアメリカ流ライフスタイルを良しとする風潮が、今わが国で目立ってきている。しかし、アメリカでは、土居健郎氏の『甘えの構造』が読み直され、以心伝心や阿吽(あうん)の呼吸で相手の気持ちを読み取る共感能力の重要性が見直されている。この日本社会の現状は、20年前のアメリカを今のアメリカと思って後追いしている日本の学者・教育者の勉強不足に原因がある」。
 ★これと同じ現象が、日米両国のキリスト教界の間で起きています。戦後に大挙して来日して来たアメリカの宣教師に教えられたプロテスタント・キリスト教は、その多くが聖書に忠実な福音主義キリスト教でした。しかし、この福音主義は少なくともある一点で聖書の教えに逆らっていました。それは、新約聖書が明確に教えている異言などの聖霊の賜物を無視するという点です。
 ★その根拠としている聖書テキストの一つは1コリント13:8〜13です。この中の10節「全きものが来る時には、部分的なものはすたれる」の「全きもの」とは聖書のことで「部分的なもの」とは異言、預言などの聖霊の賜物だと言う訳です。しかし、この解釈はペテロが言う聖書の曲解以外の何物でもなく、素直な偏見の無い目で読むなら、「全きもの」とは聖書の完成のことではなく、キリスト再臨と新天新地の到来のことであることは自明です。宗教改革者のカルヴァンも「全きもの」は終末の日に実現すると注解しています。ですから、この聖句は異言がすたれた事の根拠となるテキストとはならず、キリスト再臨の日まで異言や預言はなくならないことを保証する聖句なのです。
 ★日本の教界の先生だったアメリカの教界では、今や異言を語る人々は、ほとんど全ての教派に存在しカリスマ運動は超教派の運動となっています。ところが、日本のプロテスタントの福音派キリスト教界は相変わらず異言にアレルギー反応を示し、「異言を語ることを妨げて(禁じて)はならない」という聖書の明確な教え(1コリント14:39)に反し、異言を語ることを禁止し、異言を語る者を追放までしています。
 ★彼らのかたくなな態度の原因は、主イエスの言葉を借りれば、「聖書も神の力も知らないから」
(マタイ22:29)です。主イエス時代の律法学者達のように、今日の日本の福音派の牧師・神学者は「異言はすたれたとする」伝統に縛られ、聖書についての木を見て森を見ない近視眼的態度と不勉強のため聖霊の賜物が見えないのです。


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キリスト紀元2003年 6月 1日公開

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