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 聖書は人間は肉体、精神、霊の三要素から成る三位一体的存在であると言っています(1テサロニケ5:23;ヘブル4:12)。この三要素の中の霊が本来の人間の中枢要素です。霊の中に神の聖霊が共に住むことによって、人は真実に生きた人となる様に造られました。しかし、人類の代表者アダムの違反によって、聖霊は人から離れ去り、人は霊的死人として生まれてくるようになったのです(エペソ2:1,5,6)
 ★性善説と性悪説という東洋(古代中国哲学)思想がありますが、聖書はどちらにも加担しません。聖書は最初の人間アダムは神に似た善なる者に造られたが神の戒めを破り罪を犯したため悪を行う罪人となったと語っております。神はアダムに「園にあるどの木からも取って食べてよろしい。しかし、善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを食べると死ぬから。」と言われました
(創世記2:16、17)。アダムは神に逆らってその木の実を食べましたが、肉体的にすぐには死にませんでした。しかし、霊的には即死でした。
 聖書はアダムの子孫である全人類は生まれながら「死んでいる」と診断しています
(エペソ2:1,5)。その死とは「自分の欲の中に生き、命の源なる創造主との交わりを失った霊的死」です(エペソ2:3)。肉体的死人が何の仕事もできないように、霊的死人は神の前に是認される如何なる善行もなし得ません。従って、自分の善行によって天国へ行ける人は人としてのイエス・キリストの他には誰もいないのです。
 ★主イエスは言われました。「
わたしはまことのぶどうの木、あなたがたはその枝です。枝が自分だけで実を結ぶことができないように、あなたがたも私につながっていなければ実を結ぶことができない。〜私から離れては、あなた方は何一つ出来ない」(ヨハネ15:4,5)。暴力団の世界で努力して表彰されても一般社会で認めてもらえないのと同様です。「キリストを離れて行なわれる業は何一つ神に是認されず、その業によって天国へ行くことはできない」ということです。
 ★ルカによる福音書15:11〜32に「放蕩息子のたとえ」と呼ばれる話が出て来ます。父から財産の生前贈与を受けた息子が放蕩に身を持ち崩し、日々の食事にも事欠くようになりました。そこで我に返った息子は父に詫びを入れて実家の雇い人の一人にしてもらおうと家路につきました。彼が家からまだ遠くにいるうちに、息子の帰りを今か今かと待っていた父は息子の姿を見分けて、彼を哀れみ走り寄って抱きしめ、家に大喜びで迎え入れ「死んでいた息子が生き返った。」と祝宴を開いて祝ったのです。
 ★神から離れた人生は、あなたが神から預かった財産を浪費をしているようなものです。父なる神はあなたの帰りを今か今かと待っておられます。 主イエスのたとえ話〈3〉放蕩息子のたとえご参照


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キリスト紀元2003年 6月 1日公開


〈5〉人間とその罪について
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