イエス・キリストは別名インマヌエルと呼ばれます。それは「神が私たちと共におられる。」と言う意味です。(マタイ1:23)。このインマヌエルの約束は、キリスト復活後50日目のユダヤ暦の五旬節の日に弟子たちの上に注がれた聖霊なる神によって実現しました。その五旬節(ペンテコステ)の日以後弟子たちに大きな変化が見られます。主の十字架の時、人を恐れて主を知らないと三度も主を否定した弱いペテロが強くされ、エルサレムの宮に集まった大群衆にキリストの福音を説教し、その日一日で3千人を悔い改めに導いております。また、宮の門に置かれていた生まれつき足のなえた物乞いの男に、ペテロが「金銀は私には無い。私にあるものをあげよう。ナザレのイエスの名によって歩きなさい。」と命じると、その人は踊りあがって立ち、神を賛美しながら歩き回りました。
 主イエスが
「聖霊があなた方に下る時、あなたがたは力を受けて〜地の果てまで、わたしの証人となる。」(使徒1:8)。「私を信じる者は、わたしのしているわざを行い、またさらに大きなわざを行う」(ヨハネ14:12)と言われたみ言葉はこのようにして実現したのです。それでは、ペンテコステ以前聖霊は弟子達の中におられなかったのかと言うと、そうでなく聖霊は彼らが主を信じた時からすでに彼らの中におられました(ヨハネ14:17)。それは、丁度ノアの洪水の時、上からの雨と地下水の噴出によって世界が水におおわれたように(創世記7:10〜13)、弟子たちの霊に閉じ込められていた聖霊の噴出と上からの聖霊の注ぎによって弟子たちは聖霊に浸され覆われ、聖霊による火の玉となったのです。
 ★この聖霊なる神は単なる神の力でなく、人格をもった神です。聖書は聖霊なる神が人格特有の、知性
(1コリント2:11)、感情(エペソ4:30)、意志(1コリント12:11)をもつ方として描いています。人が聖書を読み、み言葉の説教を聞き、自分の罪を認め悔い改めて主を救い主と信じて新しく生まれ神の子供となる、そのすべての過程で人を導いておられるのが、み言葉と共に働く聖霊なる神です。
 ★この聖霊によって、罪の赦しときよく正しい生活と何ものにも奪われない平安と喜びが、信じる者の心に宿るのです
(ローマ14:17)。かくして、キリスト者は、地上に居ながらにして、神の国(天国)の生活を始めるのです(エペソ2:4〜6)キリスト者の人生の目標はキリストに似たものになることです(ローマ8:28〜30)が、それは内面性ばかりでなく、キリスト再臨の日(世の終わりの日)に、身体も復活のキリストと同じ死なない栄光の身体に変えられるのです。
 聖書のことば
「キリストは、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、私たちの卑しい身体をご自身の栄光の身体と同じかたちに変えて下さる。」(ピリピ3:20、21)


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キリスト紀元2003年 6月 1日公開


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〈4〉聖霊なる神について
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