ゴスペル よい知らせ キリストをあなたに @31church.net
〈12〉祈りについて
キリスト教案内
 ★無神論者を自認する人も本当に困った時は祈ると言われます。人間と猿との大きな違いの一つは、人間は祈ることを知っているという点です。しかし、祈りの対象といえば偶像の神々しか知らなかった私達に、祈りの対象として「父なる神」を、祈り方として「御子イエス・キリストの御名による祈り」を主イエスは教えてくださいました。身分の高い方(父なる神)の前に出て話をするためには紹介状(御子イエスの御名)が必要です。主イエスの言葉「あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも父が与えて下さる」(ヨハネ15:16後半)
 ★私達キリスト者が救われたのは、私達自身の行いの結果ではなくイエス・キリストを信じたためですが、その信仰さえも祈りの結果としての神からのプレゼントです
(エペソ2:8)。私達キリスト者の救いは、私達自身の祈りの結果ではなく、主イエスと教会(日本と世界の教会)の信仰者たちの「とりなしの祈り」の結果なのです(ヘブル7:25;ルカ6:27,28)
 ★主イエスは父なる神への祈りの中で言われました。「永遠の命とは唯一のまことの神でいますあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです」
(ヨハネ17:3)。その知ることは机の上の学問の知識のような頭だけの知識ではありません。頭の知性より深いところにある霊による知識です。キリスト信仰によって新しい命(永遠の命)を得ていない人はその霊が死んでいます(エペソ2:1)。霊的に死んでいた私達がキリストの福音(よい知らせ)を聞き、心を開いてキリストを受け入れた結果、死んでいた霊がよみがえり、神とキリストを知る永遠の命を与えられたのです。
 ★私達キリスト者がこの永遠の命に成長するためには日々の聖書の読み(霊の食事)と祈り(霊の呼吸)が欠かせません。信仰のあるところには祈りがあります
(ルカ18:1〜8)。祈りのないところに信仰はありません。あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって私達の求めるところを神に知っていただくとき、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が私達の心に宿るのです(ピリピ4:6,7)。信仰と神の御霊によって忍耐強く祈り続ける時、私達の願うところ想像するところをはるかに超えた神の御業の実現を見ることになるのです(エペソ3:20)
 ★永く神と共に歩んできた或る老婦人が教会で語った証しを、筆者は忘れることができません。彼女は言いました、「私には何の学問もないけれど、神様がいらっしゃることだけは知ってます。なぜなら、祈れば必ず答えが返って来たからです。」。信仰は、祈りや聖書読みによる信仰の実践によって鍛えられ成長して行くのです。
 
聖書のことば 「私達の交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことです。」(1ヨハネ1:3後半)



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キリスト紀元2003年 6月 1日公開

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