首都ジャカルタ

インドネシアらしさ 1998年12月27日(日)


 朝5:00に起きて、薄暗い中、宿を出て駅へ向かった。意外に人通りが多い。5時だというのにみんなぞろぞろと独立記念塔へ歩いている。何かあるのか? 5:30ごろ着くと、駅では既に窓口の前に行列ができていた。でも並んだら簡単にチケットが取れた。6:10はもういっぱいなので、次の6:20の2ndトレインになるそうだ。

 6:00、売店で水を買って改札を入って階段を登った。座席に着いてしばらくすると列車が動き出した。時計を見ると6:10だ。あれ? 間違ったんじゃないか? 周りの人にチケット見せながら乗ったからこれでいいのかと思ってたんだけど。その後、座席に来た2人の職員に何か言われた。インドネシア語でわからなかったのでチケットを見せると、特に問題はないようだ。本当に? この席の人がたまたまいなかったのかな。それとも早く出発したのか? わからんけど、

 「No problem.」

と言ってくれたからいいんだろう。ジョグジャに行けなかったら困るけど、行けるなら何でもいいです。でもその後に来た車掌らしき人はチケットをちゃんと見ないでハサミを入れた。

 朝だからだろうか。全然暑くない。7:30ごろ朝食。きれいなお姉さんが2人、座席まで注文を取りに来た。NASI RAWAN を頼む。NASI はご飯、RAWAN は何だろう。何か聞かれたがわからなかった。牛と魚のどっちにするかとか聞いてるのかな。それとも味付けに関することか? 通じないもんだから、お姉さん同士で笑顔で顔を見合わせてる。何かわからんけど適当に決めてくれたらしい。しばらくすると、パサパサご飯にもやしが添えられた皿と、牛肉と半分のゆで卵が入ったスープの皿が出て来た。うまい。昨日の夕飯より数段上だ。

 飯を食った後、強い日差しが照ってきた。そう、これだ! これがないと赤道直下の国に来たという実感が湧かないぜ。いいぞー。窓から見える景色は田んぼ。ベトナムの鉄道の窓から見たのと似ている。この国のあらゆる風景は、これまでに見たことのあるものばかりだ。新鮮さがない。珍しく感じない。旅を続けているとだんだん無感動になると言うが、私も目を輝かせて小さなことに感動していた頃とは変わった気がする。初めて来た国なのに、昨日インドネシアに来てから、勝手がわからず困ったということがない。旅行技術(「技術」と言うほどのものではないが)は、アジアならどこでも似たようなものなのだろう。それだけ誰でも旅がしやすいということだ。とても良いことだと思う。

 しかし無感動というのは旅において最も意味がなく、つまらなく、致命的で嫌われるべきことだ。さらに、危険を察知する能力も低下する。幸いトラブルに巻き込まれてはいないが、それで旅に危険がないと思ってしまってはいけない。列車に揺られながらそんなことを考えていたら、だんだんと自分が旅に求めているものが何なのかわかってきた気がする。

 今までに経験したことがないことを経験したり、見たことがないものを見たり、どうしたらいいのかわからない状況をなんとかして切り抜けたりすること。エキサイティングというのはそこのところにある。知らない、わからない、その時どうするのか。自分はどう出るのか。もしかしたら、別に外国である必要はないのかもしれない。ただ、日本人がまわりにいない環境は、より純粋に「自分」がどうするのかという状況を作り出してくれる。見たことのないもの、見たことのない自分が現れる。それがとても面白いことなのだ。しばらくするとその環境に慣れてしまう。だから次の新しい体験を求めて、行ったことのない国へ出かけるのだろう。私が求めているのはその「想像がつかない新しいもの」なのではないだろうか。

 新しい土地というのはエキサイティングであると同時に多少の不安もある。だがそこには必ず人が暮らしているのだ。人がいる。それだけで多分、なんとかなる、大丈夫と思えるのだろう。当然どこにでも悪い人もいれば良い人もいるのだ。悪い人に会い、トラブルになることもあるだろうが、今までの経験からすると、それで訪れたその国を嫌いになることはないと思う。

 今8:02。まだインドネシアらしさは見えてこない。インドネシアは何がインドネシアなのだろう。旅行はしやすいけど、まだ特徴が見えないのだ。ずーっとそうなのだが、目に入ってくるもの全てが、今までにどこかで見たことのあるようなものばかりだ。一瞬、

 《ここ、どこだっけ?》

と思うことが何度もある。

 《インドネシア。インドネシアだ。》

と自分で自分に言い聞かせないと、インドネシアにいることを忘れてしまいそうだ。

 8:18。白シャツに肩章が付いていて、ネームプレートも付いてるキチっとした制服を着たお姉さんが来た。またもや何を言われたのかわからない。この鉄道では英語は通じないらしい。チケットかな? と思って差し出したら、食べる仕草をされた。ああ、さっき食った飯代か。いつ払えばいいんだろうとは思ってたけど、そんなキチっとした人が集金に来ないでよ。さっきのお姉さん2人組が集めればいいのに。

 列車が止まると、いろんなものを売りに売子が通路を通り過ぎる。

 「ナカー、ナカー。」

とか

 「ナシー、ナシ、ナシー。」(ご飯のこと。これだけは分かる。)

とか言って通り過ぎる。こちらが声をかけなければ、立ち止まって押し売りしてくることもない。売子の声を聞いているのはなかなか楽しい。他には、

 「ダンラマーユー。」

とか

 「メディア、メディアー。」(新聞『 MEDIA INDONESIA 』のこと。)

 「レペー、ケサン、レペー。」

などがある。ほとんどは意味がわからないが、いくつかは彼らが手に持っているものでわかる。でもこの人たち、列車が動き出してもそのままだけど、どうするんだろう。どっかで降りて逆向きの列車に乗り換えるのかな。

 さっき止まったところで、窓の外で手を差し出してくる子供がいた。列車の窓の位置が高いので、外から壁をドンドン叩いてから、ちょっと後ろに下がってこっちを見て手を出すのを繰り返す。でも元気そうだし、身なりも普通だ。列車の中にも手を差し出してくる子供が何人か現れるようになってきた。床を掃いて袋を差し出してきた兄ちゃんにはRp500(500ルピア)あげたけど、ただ手を出してくる子にはやらん。持っていた中で一番小さいお金が Rp500 だったので出したのだが、多すぎたかな。

 物乞いも、インドほどの衝撃的なものはない。払わないことに対しての罪悪感のようなものも湧かない。もしかしたら、これこそ無感動の最たるものかもしれない。インドでは払わないのに必死な覚悟が必要だった。見た目の衝撃とともに、あまりにもその数が多いからだ。払うにしても全てに払っていたら金はすぐに無くなってしまう。自分なりの基準が必要だったのだ。持っている者が持たない者に分け与える。その考えは自然なのかもしれない。でも、そう簡単にできることでもないと思う。今、何も迷うことなく、手を出して来る人に何もあげない自分がいる。そう、迷うことすらしなくなっているのだ。これでいいのだろうか。いくらか傲慢ごうまんになった気がする。

 9:30ごろ止まった大きな駅から、若い女性が隣りに座った。3人ぐらいで乗ってきたのだが、

 「ここ、いいですか?」

ということを(多分)聞かれた。これって指定席じゃないのか? さっきまでは別の男の人が座ってたよな。彼女は、私のような日本人の男が座ってる隣りでも何の抵抗もないみたいだ。こっちはちょっと嬉しいけど。でも彼女の左手薬指に指輪あり。一緒に乗ったらしい男の人が何度か話しに来ている。旦那かな。それにしては年の差がありそうだ。

 11:00ごろ、景色は田んぼから山に変わっていた。まだ田んぼもあるが、山際の段々だ。段々畑じゃなくて段々田んぼ。11:18、LEGOK という駅で止まったら、何やらギターを弾きながら歌う人が乗って来て、演奏しながら通り過ぎて行った。面白いけど、ごめん、コイン持ってないんで払えないんだ。今持ってる中で一番小さい紙幣は Rp1,000 だし、お釣りくれとも言えないしな。


 14:30ごろジョグジャに着いた。列車を降りると、人がとても多い。早速、タクシーやベチャが声をかけてくる。商店が並んでいて、とても賑やかで楽しい町だ。日用品や民芸品やニセキャラクター商品がたくさん売られている。マリオボロ通りの店を眺めながらずっと歩いたが、途中横道に入ったりしていたら、どこを歩いているのかわからなくなってしまった。ベチャがしつこく付いてくる。無視無視。ある通りで座って地図を眺めていると、1人の男の子がやってきて私の横に座った。

 しきりに Art Shop に誘われたが行く気はしなかった。結構しつこいな、休ませてよ。頑として動かなかったら、彼はあきらめたようだ。後で必ず来てくれと言っていたが、なぜか店と逆方向に去って行った。自分がどこにいるのか教えてもらってわかったので、彼の姿が見えなくなってからソスロへ戻ることにした。途中、日本人ぽい顔立ちの美女(でも日本人じゃないらしい)が友だちを見送っているところに会い、目が合った。別に声をかけた訳じゃないけど、小さな喜び。

 宿は、ベチャの兄ちゃんに誘われるままに通りを入って行って見つけた PRASTHA JAYA(偶然にも目指していた宿だった)に決めた。部屋にはベッドが2つある。トイレ、マンディルーム共同。これで Rp8,000。安い! 上(3階)に日本人女性が4人泊まってるらしい。他の部屋はほとんど空いていてとても静かだ。聞くと、やはり今年は旅行者が少ないそうだ。

 ご主人の息子らしき兄ちゃんと、近所の知り合いらしき兄ちゃん(名前はドラエモンと言ってたが本当かどうかあやしい)の2人がいろいろと教えてくれた。この町の見どころやボロブドゥール、プランバナン、ディエン高原、ブロモ山などなど。さっそく近くの旅行会社のオフィス(オフィスと呼ぶには大げさな小屋)で明日のボロブドゥールとプランバナンへのツアーを申し込んだ。バリ行きのバスの手配も済んで、後は楽チンだ。バリからジャカルタへ戻るには飛行機にしようと思うが、向こうで取れるだろうか。

 その後、バティックの店へ行った。なかなかいいじゃないですかー。切って服を作ったりするやつじゃなくて、額に入れて飾ったりするアートバティック。初め買う気はなかったのだが、見ているうちに欲しくなってしまった。大1枚と小さいのを2枚買った。やはり Teacher の作品はいいし、高い。と言うより、Student のものが安いのだ。相場が全然わからんが、宿の兄ちゃんは信用できる。とても親切だし、明るくていい奴だ。歩いてる最中、何度か雨が降ったが、いつもすぐ止んだ。

 17:00ごろ宿の近くで夕飯を食った。エビのスープ&ライス、ガドガド、アイスティー。どれもとてもうまかった。インドネシアで食った中で一番だ。「おいしい」はインドネシア語で「Ena!」というそうだ。さっそく店の人に、

 「Ena!」

と言ってみた。宿の彼は18:00にラマダンあけだそうで、18:00になるとともに水を飲んでいた。今朝から何も飲み食いしてないそうだ。目の前でバクバク食って悪かったかな。

 レストランを出た後、ラーマーヤナ舞踊のチケットを取りに、またさっきのオフィスへ行った。その後19:30まで宿で待機。日本人旅行者の賑やかな声と、モスクからのコーランの放送が聞こえる。別にうるさいとは思わない。しかしこの宿、本当にこの設備で Rp8,000 って安いよな。

 19:30、迎えが来た。外は激しい雨だ。夕方のと違ってなかなか止まない。ラーマーヤナ舞踊は以前、福岡のアジア太平洋フェスティバルで見たものとは比べものにならない素晴らしさだ。衣装は「本物」感を漂わせている。とても美しいし、格好いい。演劇仕立ての舞踊で、見ていて全く飽きない。ラーマーヤナの物語は知っているつもりだったが、誰だかわからない登場人物もいた。とても迫力があって、楽しかった。これって、旅行会社を通さずに自分でチケット買ったらもっと安いのかな。ガイドブックを見ると1桁値段が違うぞ。でも別にだまさた訳じゃなくて、旅行会社で買うとこうゆう値段らしい。

 宿に帰ってから洗濯をした。どうやら寮の鍵をジャカルタの宿に置いてきてしまったらしい。ポケットに入っていなかったので全荷物を探したが、見つからなかった。日本に帰ってから部屋に入れないな。まあなんとかなるでしょ。

 明日は5時出発だ。ついにボロブドゥールが見られる。現在21:41。寝る。

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