緑の水田の美しさを忘れたくはない
 岡山を走り出した新幹線の車窓から水田が見え始める。田植えのすんだこの時期、水田には水がたたえられていて、文字通りの美しさを見せてくれる。

 ところが、どうも水田の緑が薄い気がするのだ。中にはまだ田植えがすんでいないのかと思えるものもある。そんな田んぼも、よくよく見ると、ちゃんと苗は植わっている。どうやらこれは田植機による田植えのせいなのだろうと気づいた。田植機用の苗は、手で植えていたころの苗に比べると、稲の数も少なく短いのだ。

 とすると、この時期の一面の水田の緑の美しさの記憶は、いつのものなのだろう。記憶の中の田植えの済んだ水田の緑はもっと濃い。その一面の緑と水の輝きは本当に美しかった。日本の稲作文化の美しさのようなものを感じていたのは、夢だったのだろうか。

 そんな物思いにふけりながら、窓の外を流れる景色を見ていたら、子どもの頃の田植えの記憶がよみがえってきた。当時、兼業農家だった我が家では、田植えの時期には県北の農家の人が泊まり込みで田植えの手伝いに来るのが普通のことだった。まだ機械化されていない田植えの作業は、まさに労働集約的といっていい重労働で、あまり役には立たないのだが、自分も手伝いに入ったものだった。

 地下足袋が足に合わず、裸足で入る田んぼ。その感触はなんとも言えない良さがある。しかし、田植え自体は苦痛以外の何者でもない。なにしろ一日中腰をかがめて稲を植えるのだ。疲れたからといって腰を下ろすことはできない。しかも、作業の遅い僕を待ちながら、皆は腰を伸ばしたりしているのだが、こちらは追いつくまもなく、次から付きへと植え続けることになるのだった。夜中に足が引きつって飛び起きた記憶も今は懐かしい。

 そういえば、先日、仲間の公民館職員の一人が田植えを体験してきたという話をしてくれた。彼女にとって、それは楽しい体験だったようだ。

 そんなわずかな農業体験であっても、米に込めた百姓の思いをかみしめてご飯を食べることにつながればと思う。そして、この美しい稲作文化と、水田を含めた人の手の入った自然や環境を守る営みにつながればと祈りたくなる。

 農業体験を取り入れる学校もあると聞くが、公民館でのそのような取り組みは収穫までの管理や減反政策の影響もあってまだ少ない。しかし、子どもたちにも、いや大人にこそ、田植えも体験してほしいと思う。それは案外、日本ではESD(持続可能な開発のための教育)の基礎になるのではと思えるのだ。
                                               (2005.6.21)