少子化と小さな政府と高齢者の関係を考えた
少子化が進む社会で「大きな政府」を続けようとするのは、将来の世代に負担を押しつけることになる。だから、高齢者への年金などへの支出負担を減らして「小さな政府」を目指すべきだという論を、ある経済新聞で読んだ。
なるほど日本は子化対策をいろいろやってはいるが、出生率の低下は止まっていない。保育サービスなど子どもを安心して生み育てられる環境を充実させようという考えに間違いはない。しかし、結婚して10年から15年の世代の夫婦の子どもの数だけを見ると、2002年でも2.23人と、これは30年くらい変わっていないという。結婚した人はちゃんと子どもを産んでいるわけで、少子化は晩婚化や非婚化に根本原因があるので、結婚した夫婦への支援サービスでは少子化は止まらないというわけだ。
そうなら、誰もが安心して結婚し、子どもを生み育てようという気持ちになれる社会を創ることこそが、抜本的な少子化対策ということになる。「少子化は止まりようがない。だから高齢者などへの社会保障経費を削って小さな政府にすべきだ」という考えには賛成できない。
なぜならこの考えでは、少子化の根本原因となっている今の社会のあり方を所与のものとして、つまり、財界中心の政策は正しいものとして、その上で社会保障や政府支出のあり方を論議し、若者の犠牲の上に今の経済社会を成り立たせていこうというものに思えるからだ。
若い人の雇用情勢をみればそのことは明らかだ。多くの企業が正規社員を雇わず、派遣やパート職員へと雇用をシフトしていく中で、若者はそのような職にしか就くことができず、子育てどころか、結婚にすらたどり着けないのではないか。そのような雇用政策の転換を迫らなければ、少子化は止まるまい。
現実には年金などの社会保障だって決して十分ではない。若い人たちが安心して子どもを産み育てられるように、ゼネコンの儲けのための公共事業などはやめて、医療や教育など社会保障にかかるお金を国がしっかり負担する必要もあるだろう。小さい政府どころか、必要なところにはしっかりお金をかけ、企業の社会的責任も果たさせねばならないはずだ。
にも関わらず、「官から民へ」が叫ばれ、「小さな政府」が絶対的に正しいかのように喧伝されている。自治体にもそういうスローガンが押しつけられようとしている。
私たちの先輩世代は、この日本で究極の小さな政府をいやと言うほど実感している。それは戦争中の日本政府だ。軍事だけに特化し、社会保障など何もない「小さな政府」だった。
そう考えると「官から民へ」、そして「小さな政府」をめざそうという訴えには、高齢者も若者も意義を唱えて立ち上がる必要があるように思えるのだ。
(2005.10.6)