ソーセージを食べながら責任の取り方を考えた
少し前の話になって恐縮だが、最近気に入っているソーセージ入りのパンを食べていると、テレビで農水相がしゃべっている映像が目に入った。日本ハムの村社会長らが会社にとどまっているのでは国民の納得は得られないなどと発言しているのだった。
今問題になっているのは、日本ハムの子会社がBSEに汚染された牛肉の買取制度を悪用して、輸入牛肉を農水省に買い取らせていたというものだ。その責任を取って、代表権のある会長が代表権のない名誉会長に退き、社長は専務に降格するという内容に文句をつけたのだ。
武部大臣が強行に言っていたのは、この社長や会長が会社から身を引かないのでは納得できない。やめてけじめをつけろ。とまあ、こういうことだろう。国民は納得しないなどと言っていたようだが、要するに農水省としては許さんぞというわけだ。その証拠に営業自粛要請の解除を先延ばしにするぞという脅しがセットになっていたもの。これには日ハム側も参ったようで、処分を見直すと発表した。
しかし、思い返せば武部農水相自身が、このBSE問題での農水省の不手際の責任をとって辞めるべきだという声が強まった時期に、あくまで大臣として責任を果たすと強弁して、その職にとどまってきたことは周知の事実。その口で日ハムの会長や社長は辞めろと圧力をかけるのは、少し厚顔過ぎないか。農水省のずさんな買い上げ制度の運用自身に問題があったのを指摘されないための大臣発言との見方もあった。
もちろん、やめることが責任の取り方という日本の精神風土のようなものに組するつもりはないが、しかし、人にそう言うなら自分の責任の取り方はどうなんだと言いたくなる。
もちろん、今回のような不正が起きないように再発防止策を講じることは当然だ。より本質的には、食の安全をどう確保するか、農水省自身の改革が必要だ。我々自身が食の安全を守ることに無頓着になっていないか、自省してみる必要もあるだろう。皮肉な言い方になるが、自分の口に入る物の安全を、国や企業に任せていたのではだめだというのが、最大の教訓だったのではないか。農水省の中国四国農政局が、地産地消を掲げた取り組みを広げているのは、食の安全を守る意味もあり、ひとつの責任の取り方として納得できる。
我々自身、自分の食の安全を守ることを人任せにせず、しっかりと考えていくことも、国民の側の責任の取り方としては必要なことかもしれない。
(2002.8.26)
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