NHKのレーゾンデートルについて考えた
 NHKと朝日新聞の激しい非難合戦が始まっている。ことの起こりはNHKのプロデューサーが、自民党幹部からの圧力で番組の内容が改変させられ、当初の意図とは違う内容になってしまったと、涙ながらに会見を開いたことだ。

 話題になっている番組は2000年11月の「戦争をどう裁くか」シリーズ。中国人被害者の証言や元慰安婦の証言、強姦についての元日本兵の加害証言などが削られた。

 争いになっている番組の改変が自民党幹部からの圧力によるものであるか、あるいはNHK幹部の自主的な改変であったのかは現時点では明らかでないが、そのような改変や圧力を感じることがその後なくなっていれば、今回のような訴えには至らなかったと考えられる。むしろ、番組を作る現場にとって耐えられない現実が強まってきたからこその告発だったのではないか。

 教育基本法を変えて愛国心を教え込もうとする動きや憲法9条を変えようという公然とした動き。東京都教育委員会では、教員が式典で立ち上がってちゃんと君が代を歌ったかどうかを、職員を各学校に派遣してまで一人ひとりチェックし、歌わなければ処分するなどという現実がすでに起こっているのだ。

 今回の番組改編はこうした流れと無関係ではなく、むしろそれを加速させようとする圧力を感じさせる。NHK幹部の行為は、その流れに棹差すものと言うほかない。

 お粗末なのはNHK元放送総局長の怒気を含んだ会見だ。自民党幹部から改変を求められてはいない。朝日新聞の記者が自分の発言とは違う内容を記事にした。告発したプロデューサーに対しては憶測で告発するジャーナリストを許せないと切り捨てて見せた。その発言がすべて正しいとすれば、何の圧力もないのに自主的に内容を変えたということになる。

 目に見えない圧力(いや圧力とも思っていなかったのかも知れないが)に自ら手を下したというなら、ジャーナリストとしてその方がよほど恥ずかしい。自民党幹部に事前に内容を知らせるということ、それは直接的な言葉での圧力がなかったとしても、知らせること自体が異常なことなのだ。その自覚もないNHK幹部の頭の中はどうなっているのか。

 NHKは、国民から料金を集めて運営することが法律で決められている公共放送なのであって、大企業の広告収入のみに依存する民放に比べても、最も民主的な国民本位の報道機関であるはずだ。自民党の放送部ではないのだ。改めてそのレーゾンデートルとは何かを考えてみなければならないと痛感した。
                               
                                      (2005.1)