新幹線の中で「もったいない」を考えた
新幹線の中である。目の前の「もったいない」の大きな文字が目に飛び込んでくる。新幹線の中にも企業広告が掲示されていて、これもその一つなのだった。
私たちの暮らしの中で、「もったいない」は良く使われてきた言葉だ。今でも祖母や父の「もったいない」と私を叱る声が耳に残っている。正確には「もってーねー」だったかもしれないが。
その「もったいない」が、なぜ企業広告に載っているのか。しかもその広告には「もったいない」と「MOTTAINAI」の文字、そして広告主である企業の名前しか載っていないのだ。
ご承知の方も多いだろう。ノーベル平和賞受賞者でケニア環境副大臣のワンガリ・マータイさんが、日本の「もったいない」という言葉を知って感銘を受け、世界に広めることを決意し、国連でも紹介した。今や「もったいない」は国際語となろうとしている。言うまでもないが、この言葉は持続可能な社会を築くために、私たちの暮らしの有り様を変えるための象徴的な意味を持とうとしているのだ。先の企業広告は、そのイメージを使う戦略なのだろう。
外部の人から見ると、そのものの持つ価値が、内部にいる者よりもよくわかることは少なくい。この「もったいない」もその一つかもしれない。なるほど以前ほどは「もったいない」と言わなくなったように思う。
家が狭いせいもあるだろうが、着なくなった服やら靴やら、残った料理など、思い切って捨てるのが我が家の流儀になっているようで、いささか恥ずかしくもある。改めて「もったいない」という心で、自分たちの暮らしを見直したいと思う。
中にいると忘れがちな、大切なものを思い出させてくれたマータイさんに感謝しなくてはならないが、大切なものは資源など目に見える物だけではない。今まさに教育基本法の改悪阻止のための集会に向かっているのだが、今や憲法も教育基本法も変えられようとしている。本来国民が国を、政府を縛るために作ったものが憲法であり、戦争をしないように政府を縛ってきたのが第9条だったはずだ。それを変えようという政府。危なくてしょうがない。
まして、憲法とセットで作られた教育基本法も変えて、教育行政へ国民の意見を反映させることを妨げる条項を作り、愛国心やら何やら、あぶなかしげな内容を盛り込むことが企まれている。
なくなって初めてその価値がわかったのでは遅すぎる。今の憲法や教育基本法という世界に誇るべきものを失わないよう、声をあげなくてはと思う。憲法についても、外国からその価値を見直す発言が相次いでいる。今これを失うことこそ、何より「MOTTAINAI」ではないか。
(05.5.7)
