駆け込み寺があることを子どもに伝えよう
 大阪岸和田市で中学3年生の子どもが、なんと24sにやせ細って保護され、両親が未必の故意の殺人未遂で逮捕された。

 その子は、父親と別れた母親との間の子で、二人兄弟の長男。内縁の妻には別の連れ子がいて、そちらはかわいがられていたらしい。二男は両親の虐待から逃げ出して母親の元で暮らしているという。しかし、この長男は祖父の家にご飯を食べさせてと逃げ込んだりしたものの、父親に連れ戻され、そのつど虐待を受けて逃げる気力もなくなり、ついに食事も与えられずに意識不明の重体に陥ってしまった。父親はその子が死んだと思って救急車を呼び、今回の逮捕につながったというのだ。

 なんとも言葉を失ってしまう事件だ。マスコミにはその長男が通っていた中学校の校長や、自治体の児童相談所の職員がインタビューに答えるところが映し出されていた。校長は誰が訪問しても子どもに会わせてもらえず、児童相談所に虐待の恐れがあると通報していた。

 しかし、相談所の方では長期欠席者=多くの登校拒否の子どもの一人ととらえ、虐待についても親に尋ねたら否定したというので、そのままにしていたらしい。

 家庭の中に、ずかずか上がりこんでいく権利をわれわれは持っていない。しかし、だからといって、こんな事件の発生を許すわけにはいかないではないか。

 実の親に、そして内縁の妻に虐待され、逃げても連れ戻され、暴力や虐待を受け、ご飯も与えられず、やせ細っていく。意識が朦朧としていく。そんな子どもの心を思うとき、何で祖父の家でなく、警察でもいい学校でもいい、近所の誰かでもいい、とにかく助けてくれそうなところ、力になってくれそうなところに駆け込むことができなかったのかと残念でならない。

 彼はきっと知らなかったのだ。誰に助けを求めればいいのか。実の親でも、そこから逃げなければいけないことがあるということも。

 こんなことしか書けないのは悲しいが、こうしたことを繰り返さないことが、私たちの責務に違いないと思う。そしてこうしたことへの対応は、児童相談所を県が持っているか、市が持っているかはあまり関係ないのではないかと思えるのだ。

 子どもたちに、親の虐待から脱出するすべを教えることも、そしてどこに駆け込めばいいのかをきちんと教えることも必要に違いない。そうしたプログラムを私たちは持っているのだろうか。私の家や職場は駆け込み寺になれるだろうか。そう考えてみたいと痛感した。

                                       (2004.1.27)