子どもたちの安全を考えた

 京都の宇治市で給食中に男が包丁を持って侵入し、児童二人に切り付ける事件が起こった。精神科病院に入退院を繰り返していたというので、なんとも微妙な要素が絡むものの、本当に痛ましい事件だ。怪我をした子どもの心身の回復はもちろん、ほかの子どもたちの心のケアも必要だろう。

 新聞報道を読むと、学校のマニュアル違反が問題にされている。特に侵入を許した点が指弾される雰囲気だ。有識者の意見も載せられていたが、学校に常時監視体制の確立など、取り組みを再点検するよう求めるものだ。

 なるほどマニュアルも大切だし、決められたものは守るに越したことはない。今回の事件ではマニュアルどおりに運用されていたら、侵入を防げたかもしれない。しかし、だからといってすべての学校で同様に防げるわけではない。そう思うのも、かつて仕事で視察したことのある東京杉並区の杉並第十小学校を思い出したからだ。

 開放型の施設が整えられ、住民にも活用されているというので訪問したのだ。この学校は「蚕糸の森公園」と一体となって地域防災の拠点となっている。広い校庭は公園に続いており、災害時にどこからでも自由に逃げ込めるようにするために学校には校門もなく、公園には塀もない。学校で使用する時以外には、校庭や体育館はもちろん、会議室・図書室・音楽室・図工室・家庭科室・温水プールなどが住民に開放されている、地域に開かれた学校なのだった。

 当然ながらこの学校では、誰かが学校へ入るのに何の障害もない。センサーもモニターも意味をなさない。しかし、安全は確保しなければならない。そこに本質的な安全対策を考えるベースをすえる必要があるのではないだろうか。

 学校だから厳しい指摘がなされるのはわかる。しかし、悪意を持って侵入する者を完全には防御しきれない。無策でいいとは思わないが、教職員の不十分さを指摘するだけで問題がすべて解決するとも思えない。

 子どもの安全を考えるとき、学校の中だけ安全であればいいというわけではないことも自明だ。登下校時、地域で遊んでいるとき、少年団での活動中など、危険を完全に防ぎきれるものではないが、だからこそ、そのことを前提に対策を考える必要があると思えるのだ。

 CAPが教えているような子ども自身の危険回避能力を高めることもある。岡輝中学校のシニアスクールのように、今以上に学校に多くの人が入ることで確保できる安全もあるだろう。社会全体の犯罪増加傾向と今の経済社会の方向が無関係でないことを考えるとき、社会の責任で子どもの安全を考えないといけないと痛感する。


                                       (2004.2.18)