毎年、この時期になると地震の恐ろしさを思い出す
毎年、この時期になると地震の恐ろしさを思い出す。そう、あの阪神淡路大震災の日が巡ってくるからだ。
その後、岡山でも感じられる地震が増えているように思える。それを裏付けるように、西日本は地震が多発する時期に入った、南海道を震源とする巨大地震が発生する可能性も高いと報道されている。
つい先日も、岡山大学の研究者の研究成果として、フィリピンプレートの先端が、広島県東部から岡山県東部の瀬戸内海沿岸地域にあることが判明したと報道されていた。プレートテクトニクス理論では、大陸の乗ったプレートは一定の方向に移動しており、そのプレートとプレートがぶつかり、一方の下にもう一方のプレートが沈み込むところで地震が多発すると聞いたことがある。
そんなことを思い出しながらその記事を読んだものだから、自分の足もとの地下深くでプレートの先端がじわじわと沈みこんでいく様子を想像して、なんだか不気味な感じがしたものだ。
自分の家が市内でも南部の埋め立てでできた地域にあるものだから、大きな地震が発生すれば、普通の地域よりは大きな被害に遭うのではと思える。それだけに余計不気味に感じるのだ。
しかし、市の職員としては、自分の家の心配ばかりしているわけにはいかない。本当に大きな被害が起きた場合、我が家のことはおいといても、市民のために力を尽くさなければとは思う。でも、そこではたと考えた。いざという時、自分自身は職員とて何をすればいいのかわかっていないのだ。(防災担当の方、ごめんなさい)
事務職のはしくれとして仕事をしてきた身では、実のところ土のうを積む訓練すらしたこともなく(これは関係ないか?)、いざという時役に立てるのかの不安は隠せない。また、私服で災害が発生した地域に駆けつけても、一市民なのか職員なのかの区別もつかないではないか。(市のマークの入った作業服でも支給されていればいいのだけど)
自分自身の意識と能力の低さに愕然としながらも、これでいいはずはない、いざという時頼りになる市の職員であるための努力は、普段から必要なのだと思い直した。一度に全職員を対象にとはいかないだろうが、私たちの自覚と能力を高める方法を具体的に考え、実行したいものだと思うが、いかがだろうか。
(2002.1.19)![]()
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