牛丼を食べてアフガンの子どもを考えた
チャンスがあって昼休みに牛丼を食べた。かつて250円の期間限定特別価格だった時、このままではいつもこの値段になるに違いないと書いた覚えがある。現在は280円。安さのせいか、駐車場に車をとめるのに困るほどの人気だ。
さて、注文する段になると、なんだか安い牛丼だけ注文するのがはばかられて、50円の味噌汁も頼んでしまった。(これで二回目だ!)それでも330円。まだ十分安い。そんな思いで周りを見れば、牛丼と卵の組み合わせなど、牛丼(並)だけの人が少ないように思える。
卵にしても、乾燥ねぎと見たこともないほど薄い油あげが浮いている味噌汁にしても、原価は知れている。ここで儲かるのかなどと、一人合点しながら味噌汁をすすっていると、ふと、テレビで見たアフガニスタンの子どもの姿が脳裏に浮かんだ。同時に、ユニセフから送られてきた寄附を求める手紙を、ゴミ箱に捨てたことまで思い出してしまった。
ああ、このわずか50円の味噌汁を見栄で注文したりせずに、別の使い道を考えれば良かったか。そんな思いもわいてきた。恥ずかしいほど小さな金額だけど、この50円が今子どもたちの命をつなぐことにも困っている国に届けば、その価値はもっとはるかに大きいかもしれない。恥ずかしながら、50円というお金がアフガニスタンでどのくらいの価値を持つのか、どれほどの食料を買うことができるのか、私は知らない。
もちろんテロは絶対に許せない。ニューヨークのテロ画像を目の当たりにして、一瞬、軍事攻撃で二度とこんなことができないように叩きのめすべきだという思いが頭をよぎった。だが、待てよと思う。
テレビで流されていた映像は、ある日本人医師がアフガニスタンに開設していた診療所での子どもの様子。マラリアや栄養失調、病気にかかっても医師も薬もほとんどない状態だ。そんな状況であることを私は知らなかったし、知ろうともしていなかった。テロ以来の報道で知ったというのが正直なところだ。
ユニセフ親善大使の黒柳徹子さんが、新聞のコラムで「同じアジアにいる日本が、もっと早くアフガニスタンの深刻さに感心を払っていれば…せめて今、私たちにできることは、『知ること』しかないのかもしれません。」と述べていた。
はたしてそうか。直接お金を届けることはできないが、子どもたちの頭上に爆弾が降り注ぐことをとどめることはできないのか。50円玉を見ながら、自分にできることをもう一度考えてみたいと思った。
(2001.9.29)![]()
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