自治研集会で学んだ教訓とは
吉野川河口堰の是非を問う住民投票日を書いた大きなボードを掲げた女性が、目の前を通り過ぎる車に投票への参加を元気いっぱい呼びかけている。・・・10月13日、私たちは「地方自治研究集会」が開かれている東静岡駅に近いグランシップという建物のホールにいたはずだったが、「シュプレッヒドラマ」が始まり、気が付くと私たちは徳島市に連れて行かれていた。
なぜ河口堰が必要ないのかを熱っぽく語りかける女性を中心に共感の輪が広がっていく。生き生きとした表情、張りのある歌声、そして元気があふれる踊り。地元静岡県の自治体に働く仲間が演じているのだが、自治労連が提起している地方自治憲章の条文、つまり自治体の役割を、歌と踊りとアピールで構成して描ききって見せてくれた。「研究集会」の出し物とは信じられないくらいの出来栄えに、会場は感動に包まれた。ここで生まれた感動や共感が、三日間の集会を特徴的に表していたように思う。
「地方自治研究集会」は、自治労連が中心となり、各分野の市民団体や研究団体等の実行委員会が主催して開いたもので、26もの分科会、3つの講座、5つの中規模集会などで自治体や自治体労働者のあり方、各分野での取り組みの成果や教訓を学びあう場として開かれた。
冒頭に掲げた感動を胸に、参加者は分科会で全国から集まった仲間や市民と共に語り合ったに違いない。その分科会の内容すべてを紹介する紙面の余裕がないので、ここでは三日目に開かれた「自治体の役割、公務労働を考える」で聞いた教訓的な話をご紹介したい。
話し手は神戸大学の二宮教授。話は名君といわれる毛利元就の支配の三つの知恵と、その教訓について。
その第一は「きりがえる」。かえるのように我こそはと飛び跳ねている者の頭を錐で串刺しにすればいい。強権による厳罰主義。例えば教育の自由化を進めて自由競争を組織していく中で、跳ね飛ばされ荒れたり非行に走る子どもが出てくる。それには教育ではなく、厳罰で臨むという姿勢。国で言うと、強権・軍事国家。これは、見てくれ根性への戒め。
二つ目は「たるへび」。たるの中に蛇をたくさん入れて、上に穴を一つあけておく。蛇はそこから逃げようとするが、足の引っ張り合いが起こって脱出はできない。公務員の成績主義のように、競争を煽り立てる支配のやり方で、抜け駆け根性への戒め。
三つ目は「ざるどじょう」。ざるにたくさんのドジョウをいれると、下のドジョウは重くてしんどいので上に這い上がろうとする。上から下になったものも上に這い上がろうとするが、そのうちに元気のいいものは上にたまり、そうでないものは下にたまって落ち着く。その体制の中で楽をしようとすると、秩序ある統制のもとに置かれてしまい、結局ざるから逃げ出すことはできない。あきらめ根性への戒めという。
寓話ではあるが、見てくれ根性や、抜け駆け根性、あきらめ根性は、私たちの中にも残っているし、うかうかするとそこに付け込まれてしまう。自治体リストラで人がへされ、賃金も下げられ、成績主義が導入されようとしているもとで、いまさらながらこの話は教訓に満ちているように思えた。
(2000.10.23)