フセインの銅像が倒れる映像を見て、想像力の大切さを考えた
フセイン大統領の像?が米軍によって引き倒され、それを足蹴にするイラク人たちの映像がテレビから飛び込んできた。
バグダッド陥落を象徴するために、いかにも作られたその映像を見ながら、ブッシュ大統領とネオコン(ネオコンサーバティブ)の主要メンバーは溜飲を下げたに違いない。しかし、涙を流すイラク人も多かったという。
アメリカ・イギリスのイラクへの侵攻が始まって以来、連日のようにその戦果がまるで大本営発表のように繰り返され、ついにバグダッド陥落の日を迎えた。これを書いている11日現在では、フセイン大統領の居所はわからず、北部ではまだ爆撃も戦闘も続いている。
一部の報道では負傷した子どもの映像も流されはしたが、圧倒的に多かったのは米軍が進軍する様子や、爆撃、そして砲撃の様子などだ。そこに現れている現実は、イラクに起こったことの半分でしかない。
私たちの目には入ってこない。しかし間違いなく、多くのイラク人が爆弾でこなごなにされ、つぶれた建物の下敷きになって、自分が死ぬことすらわからないうちに、その命を奪われていったに違いないのだ。そうした現実は、私たちの前に提示されないが、間違いなく存在していたはず。それを想像することがいかに大切かを、戦争報道を見て痛感した。
フセイン政権のような独裁政権は確かに許しがたい。だからといってアメリカやイギリスが一方的に武力でこれを転覆する権利はない。この戦争は、最初から圧倒的な戦力の差は明白だった。米英による一方的な殺戮と言っても良い。しかし、今回の成功?に酔う彼らは、早くも次のターゲットを見つけようとしているという。このようなアメリカの一国主義とその発露としての戦争、武力で蹂躙し親米政権を作る戦略は、21世紀をまるで中世に引き戻すものと言うほかない。違うのは、武器が弓矢でなく精密誘導兵器だということに過ぎない。
一方でこの戦争は、今までデモなどに関係がなかった若者に、デモデビューの機会を作りもした。そのスタイルは、新しい可能性を感じさせるものでもあった。
その心に共感すること、そしてイラクの人たちの現実や心を考えるにも想像力が必要だ。互いを理解するための想像力なしに平和は守れないし、築かれないとも言えそうだ。そしてそれはブッシュ大統領に、一番欠けている能力なのかも知れないと思うのだ。
(2003.4.11)![]()
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