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研究レポート   フィヒテ       


「教育学的思考と人間−フィヒテの場合−」

 

 

     教育学における思考様式へのアプローチ

      −フィヒテ『学者の使命』(1794年)を手がかりとする模索−

                                                      

 

   はじめに

 (一)教育という言葉で表現される人間過程・社会過程と関係を有する考察は、−−この場合に限定されるわけではないが−−考察する主体の思考過程、及び世界と人間についての考察を含んでいるべきであるという前提が以下の論述を支配している。また、(二)以下の論述は、主としてヨハン・ゴットリープ・フィヒテ(Johann Gottlieb Fichte,1762−1814)の『学者の使命に関する数講』(1794年)という小冊子を材料として書かれたものである。従って、(一)の前提は(二)によって生じたということもできようが、だからと言って、(一)がその正当性を(二)にのみ依存しなければならないということにはならないであろう。いずれにせよ、我々の考察が教育という人間過程・社会過程を度外視せずに行なわれるならば、我々の思考はどのようなものとなるであろうかという考え方が我々の問題提起を支えているのであり、以下の論述はこの方向に沿って行なわれるであろう。


凡例

 引用文中の[  ]及び傍点等の記号は、特に断わりのないかぎり、本論文の筆者によるものである。

 フィヒテのテキストに関して記した頁付けは、イマヌエル・ヘルマン・フィヒテの編集によるフィヒテ全集中、『学者の使命』(1794年)所収の第六巻の頁付けを示す。


目次

 はじめに

 凡例

一、序説−教育学における思考様式の問題

二、フィヒテ

 はじめに

 (一)フィヒテにおける人間学

 (二)フィヒテにおける思考様式


一、序説−教育学における思考様式の問題

 我々が教育について考察するというとき、実際的な問題の解決を迫られていることを意味することが多い。何故なら、教育は実践的な問題、つまり、人間に直接にかかわる問題だからである。しかし、単なる思いつきに依存する我々の一切の思考が何等かの有意味な結果、あるいは継承可能な形式を生まないことは、恐らく承認されてよいことであろう。それ故、我々があることについて根本的に考察するというとき、この対象について考察された他者の思考過程の反省が−−差し当って、この対象についての思いつきではない考察をするための思考とはどういうものかを知るために−−欠くことのできない作業になるのである。この場合、この作業の実際的な意味は、我々が他者の考察を批判的に継承し、発展させる可能性を持つことになるというところにある。すなわち、我々は他者の思考過程そのものに対する反省を加えつつ、他者の考察を我々の思考の中に組み込むために、それが我々にとってどのような意味を有する考察であるかを解明しなければならない。教育に関わりのある一切の考察は、このようなものとしてのみ我々にたいして存在していると考えられる。ところで、以上において、対象という言葉を使用したが、我々が教育という対象というとき、これは言葉としてはともかく、我々の世界の一現象を表しているにすぎない相対的な概念である。それ故、教育という対象の考察は、実は、他の現象、他の相対的な概念との連関の中で初めて成立することを忘れることはできない。

 一主体として教育をどう捉えるかという問題意識においては、行為の意味の自覚的反省という考え方−−前述の −−がまず検討されなければならない。すなわち、教育についての考察という可能態としての行為が考察の対象となる。

 我々の現に生きている空間と時間、社会と歴史の中で、−−現実は様々な現象として捉えられるから−−教育現象という一現象−−これが問題化されて教育問題となる(なお、教育現象は教育行為に分解されて考えられることができる)−−を我々の共通概念−−了解可能な概念−−において把握する努力は、もとより教育学の一つの課題に属する−−従来この領域は教育学方法論に組み入れられている−−。この意味において、教育学の諸先達におけるその作業から学ぶことは不可欠である。この場合、特に彼等の主体に視点を定めることによりその作業を再構成していくという方法が選ばれるならば、彼等の世界−−殊に現実世界−−に対する姿勢・態度が明らかにされ、更に、彼等における教育学的思考の生成・展開・意味の解明に寄与しうることが期待される。(ここではこれ以上に考察を加え、概念構成をより煩雑にすることはできないが、便宜上、教育学的思考の意味をその形式に着目しつつ解明するという意味で、教育学における思考様式の問題としておく。後に、フィヒテにおける思考様式を扱う箇所で、我々は再びこの問題に出会うことになるであろう。)  

 しかし、教育学的思考は、人間に直接に関わる実践的な問題の、反省的な−−意味自覚的な−−思考であるから、またそうであればこそ、教育についての考察をより全体的・普遍的な考察とするべく、世界と(「世界・内・存在」としての)人間に関する根本的な考察、つまり、世界学・人間学を所有しなければならない(前述の )。我々は、それぞれの生の過程において、我々が、現に、今、ここで生きている世界−−現実世界・生活世界−−について、何等かの形で把握しようと試みる。それが意識的・無意識的であるとを問わず、支柱・指針・規準・規範・目的・方向・理想・理念などの言葉に表現される「物の確定性」への衝動が我々に備わっていることは否定できないであろう。

 ところで、我々の世界把握は、世界という概念から出発するのではない。というのは、それが、実は、我々自身の把握を目的とも前提ともしていることを意味する。世界を他の諸概念との関係において考察することは「世界観の研究」(ディルタイ)に属するが、人間過程・社会過程としての教育の考察における世界把握は人間についての考察−−人間学、人間(関係)論−−が到達する枠組み、つまり世界像としてあらわれる。

 (ここで付言しておくと、我々は先に前述の を世界学・人間学という課題として受けとめておいたが、以下に試みる論述が後者に属すべきものとすれば、前者の意味するところは世界という概念の分析でも「世界観の研究」でもなく、また、単に「人間についての考察が到達する」限りでの世界像を描くことでもない。 の「我々の世界」の学としての「世界学」は、いわば、一切の特殊科学のうちに存在すべき総合科学としか呼びようがないものである。一方、ここでの視角から言えば、教育学という特殊科学は総合科学への志向において成立するという意味において、あるいは、教育学的認識がトータルな認識への志向なしに成立しえないという意味において、一切の科学に必然的な、むしろ、前提であると同時に結果としての機能を果たす「世界把握」・「世界像」と関わらざるを得ないという以外にない。しかし、このために「世界学」の存在意義まで疑うことは正しくないであろう。例えば、「思考様式」・「思考形態」という概念を援用しての「現状分析」がつとに社会科学者によって試みられていることは周知のことであるが、これなどユニバーサルな学問への思考のあらわれと解釈することができよう。)

 

 

二、フィヒテ

 

   はじめに

 一七九四年、フィヒテはイェナ大学での講義を開始した。この時までのフィヒテの論文としては、出版当時カントの著作と考えられ、彼を一躍有名にした宗教論『あらゆる啓示の批判の試み』、哲学論文としては『エネジデムス批評』、政治論文としては『欧州諸候からの思想の自由の返還要求』と『フランス革命についての公衆の判断の訂正のための寄与』がある。これらはいずれも、一七九一年以降、彼がイェナ大学に赴任するまでの間に書かれたものである。続いて、一七九四年からのこれも旺盛な著作活動が開始されるが、一七九四年に限ってみても、ここで扱う公開講義の他に、『知識学の概念』、『全知識学の基礎』その他がある。

 以下、『知識学の概念』のレクラム文庫版(一九七二年)にエドムント・ブラウンの付している序文から引用しておこう(八−九頁)。一七九四年の人間としてのフィヒテについて述べることは本稿の範囲を越えるのであるが、これはフィヒテの活動の一端を伺わせるものである。

 「一七九四年の初め、体系的な学問としての哲学の基礎付けの構想に没頭していたとき、フィヒテは、カール・レオンハルト・ラインホールト(一七五八−一八二三年)がキールに転出して欠員となったイェナの教授職に招聘を受けた。フィヒテは、初め、まずもってその所説をまとめるために一年間の猶予を願ったのだけれども、招聘に従い、一七九四年の夏学期には、既に、公開講義と私講義によってイェナにおける教授活動を開始した。前もって−−四月の終り頃−−彼は体系的な学問としての哲学の基礎付けのための原稿を完成し、ドイツ語によるイェナの学生達と学者達のための招待状または案内状として、『知識学あるいはいわゆる哲学の概念について、この学問についての講義への招待状として』([序文]八頁と[本文]六O頁)という標題を付し、ワイマールのインドゥストリー・コンプトワール社から出版した。同じ標題の、が、「……[への]招待状として」という補足のない第二、増訂版は一七九八年イェナとライプツィヒのクリスティアン・エルンスト・ガーブラーから出された([序文]八頁と[本文]七七頁)。

 学者の学問的な努力の意味と正当性について一時間ずつ行なった公開講義を、フィヒテはDe officiis erudiitorum(学者の使命について)という標題を付して通告していた。まだ夏学期中に、初めの五講が、フィヒテ自身によって『学者の使命に関する数講』という標題のもとにイェナとライプツィヒのクリスティアン・エルンスト・ガーブラーから(一七九四年)出版された。全知識学の基礎に関する私講義は直ちに同じ出版社で印刷され、講義の継続中、聴講者達に全紙一枚ずつ、手書きとして配布された(『聴講者のための手書きとしての全知識学の基礎』、ライプツィヒ、一七九四年)。」

   

 

   (一)フィヒテにおける人間学

 先に述べた、人間学的考察の展開が世界像を生みだすという公式−−これは、フィヒテの場合によくあてはまる−−において、この考察全体の中に教育に関する考察が認められるならば、−−考察の持つ意味・意義を別にしても−−世界像における教育の位置・意味が明示されるはずである。我々は、本節でまず、フィヒテにおけるこの問題を明らかにし、次節で、フィヒテの考察の全体的性格の検討に入って行こうと思う。

 一七九四年から、一八一四年に病に倒れるまでの二O年間に亘るフィヒテの活動を統一的なフィヒテ像として描き切ることは、大きな、しかし困難な課題であるが、差し当って、「フィヒテの精神的発達」(マックス・カリエール)を明らかにし、「包括的な陶やの思想と教育の思想」(Karl Pohl,Fichtes Bildungslehre in seinen Schriften  ber die Bestimmung des  Gelehrten,Meisenheim am Glan,1966,S. )を解明するための一手段として、学者を主題として論じている−−いわゆる通俗講議に属する−−三著作、『学者の使命に関する数講』(一七九四年)、『学者の本質と自由の領域におけるその現象とについて』(一八O五年)、『学者の使命に関する五講』(一八一一年)に注目することが考えられよう。我々は、ここでは、ひとまず、形式において最もまとまっているとされる一七九四年の著作から出発しよう。

 この著作の構成は次の通りである。 

   序言

   第一講 人間そのものの使命について

   第二講 社会における人間の使命について

   第三講 社会における身分の差異について

   第四講 学者の使命について

   第五講 芸術と学問の人類の福祉に対する影響についてのルソーの主張の検討

 我々は、以下、この著作における人間論の簡単なスケッチを試みることによって、我々のこの節での目的に近づいていきたい。(この著作の解釈は他にも社会哲学的著作とするなど、可能であろう。我々はただ、考察の方法の点でフィヒテに従う限りにおいて人間論としておく)

 フィヒテは、自我・非我という彼独特の「概念装置」の援用によって、人間論をより効果的に展開しているが、その主張は、突き詰めれば、感性に対する理性の優位という前提に支えられている。

 

 (下書きはあるが、未完)

[   以下にこのいわゆる下書きをかかげる。

   「世界・内・存在」を精神・身体・物に区別するならば、自我は「本来的に精神的なもの」(二九四頁)として精神に、また、非我は「およそ人間が自己の身体と呼ぶ人間の 身体は自我の外にあるもの」(二九五頁)であり、更に、「自我の外にある諸物」(二九八)というフィヒテの表現から身体と物に、それぞれ該当する概念であるように思われ る。理性の強調・重視はフィヒテの考察の基本的性格としての、いわば当為性と結び付いている。何故なら、「すべての真理は一つの根本命題からのみ導き出され得る。」(三三五頁)とするフィヒテは「人間感情に抜きがたくあり--全哲学の結果であり、厳密に証明される--また私が私講義で厳密に証明するであろう仮説としての命題」を「まず 設定する」(二九*頁)のであるから。すなわち、「人間は理性を持つ限り、自身が自身の目的である。すなわち、人間は何か他のものがあるべきであるからあるのではなく、人間があるべきであるから端的にある。つまり、人間の単なる存在が人間存在の最終目的である。あるいは、換言すれば、人は矛盾なしに自身の存在の目的を問うことが出来な い。人間はあるからある。」(二九五頁)フィヒテは理性を選ぶ、つまり、人間を「理性的存在」として規定する。しかし、人間が「受動的能力」としての「感性」を備えた「 感情的存在」(二九六頁)であることも無視することは出来ない。理性と感性の「二つは共存すべきである。この結合において、人間はあるからあるという先の命題は次の命題 に変化する。人間は端的にあるから、人間があるところのものであるべきである。すなわち、人間があるところの一切は、純粋我、単なる自我性に関係させられるべきである。

   すなわち、人間は端的に自我であるから、人間があるところの一切であるべきである。また、人間は自我であるから、人間があることの出来ないところであることは一般的に全 くあるべきではない。」(二九六頁)けれども、このことはフィヒテにおける理性の重要性を変えさせるのではない。「一切の理性のないものを屈服させ、自由に、また、人間 自身の諸法則に従ってそれを支配することが、人間の最終の究極目的である。」(二九九頁)それ故、フィヒテが人間を「理性的ではあるが有限な、感性的ではあるが自由な存 在」(三OO頁)と規定しても、「完全性」、つまり、理性の優位を前提とする「自己自身との一致」に近づくことを「人間の使命」とするのである。

   「自己自身との一致」=「完全性」という目標に「無限に」近づくことが「人間の使命」である(三OO頁)ということの具体的な意味は、あるいは、「人間の使命」の達成 の「手段」は、フィヒテによれば、人間が「練達性」を獲得すること(この「練達性の獲得」を「文化」という)である(二九八頁)。

   「理性的存在」としての人間は人間の「理想」である(三O七頁)。誰でも知っているように、現実の人間は感情豊かな動物である。フィヒテも「人間はその成因である物質 の様式にならって本来怠惰で惰性的なのである。」(三四三頁)という認識がありながら、人間の「理想」から人間論を展開する「理想主義」は次に「社会における人間」につ いて述べる。

     フィヒテは「人間と自然」、「人間と神」というブーバー的な問題を捨象しているのではない。 第一に、「フィヒテは出発点において純粋我を孤立させて考察する。 しかもそれは社会から孤立させるのであって、自然からではない。」(和辻哲郎『倫理学』、岩波講座 哲学、昭和六年、一四二頁) 第二に、(木村-フィヒテ)

   何故なら、「人間は社会で生きるべく規定されている。人間は社会で生きねばならない。人間は孤立して生きるとき、完全な人間ではなく、自己自身に矛盾する。」(三O六 頁)から。では、「社会」とは何か--「概念による相互作用、すなわち合目的的共同体」であり、その「積極的性格」は「自由を通しての相互作用」である。というのは、「 理性的であるということの第一の、最初に提供されるのではあるが、単に消極的な性格は、概念による作用、目的による活動」であるから。(「相互作用」は、公開講義の実質的な主題であると言わなくてはならないが、その解明は別の機会に譲りたい。)ところで、更に、「多様なものの統一への一致」が「理性的であるということの確実かつ誤りなき性格」である。

   ここに、「相互作用」の到達点--「人類の完成」(三O七頁)が存在すべき理由がある。「社会における人間の使命」は、「結合」(Vereinigung)、あるいは、

   「共同体的完成、他者の我々に対する働き掛けを自由に利用しての自己の完成、また自由な存在としての他者に対する働き返しによる他者の完成」である(三一O頁)。「社会の最終目的」は、「全人間の道徳的醇化」(三三二頁)、「人類を一層高貴化すること、すなわち、人類を、自然の束縛から一層自由に、一層自主的かつ自発的にすること」で ある。]

                                     

   (二)フィヒテにおける思考様式

 思想の持つ価値如何の問題は、思想の内容的側面と共に、思想家の立場や思考態度、また、思考形態や思考様式という言葉で表される形式的側面が対象となる。

 その場合、思想家自身が思考の方法について何事かを語っているならば、まず、そこから出発しなければならない。フィヒテは言う、「真理の発見のためには、相対立する誤りの争いは殆ど得るところがない。ひとたび真理がこれに固有の根本命題から正しい推論によって導かれるならば、これに抵抗する一切は必然的に、否定を明示せずとも、虚偽であるに違いない。また、同様にある知識に到達するために行かねばならない道全部を見やるならば、そこから外れて間違った意見に通ずる脇道も容易に見ることになり、すべての迷える人に、その人の迷いでた地点を断固として指示することが全く容易にできるであろう。というのは、すべての真理は一つの根本命題から導きだされ得るから。この根本命題がすべての限定された課題に対して何なのかは根本的な知識学が叙述すべきであり、その根本命題から更にどう推論されるべきかは、一般的論理学によって命ぜられる。かくして、真の道も迷い道も容易に発見される。」(三三五頁)フィヒテが人間論を「一つの根本命題」から出発させていることは先に見ておいたとおりである。

 さて、先に触れたように、フィヒテにおける思考様式を論じるに当たって、初めに、第四講の結びに当たる箇所を引用しておこう。

 「私は知っています、皆さん、私が今どれくらい語ってきたかを。私は同様に良く知っています、非男性化した、無神経な時代は、このような感覚とこれによるこのような表現に耐えないということを、それは、それが自ら自己を高めることが出来ない一切を、はにかんだ声で、これによって内的な羞恥心が看破されるのだが、夢想と呼ぶということを、それは、自己の無神経さと自己の恥辱以外のものを見出さない描写から、胸苦しい思いで眼をそらすということを、一切の強きもの、向上するものは、身体中が不具となったものに接触するときのような印象をそれ自身に与えるということを、私はこの一切を知っている、だが、私は私がどこで話しているかも知っている。私は、既にその年数を通じてこのような全き無神経さから身を守ってこられた若い男性たちの前で話している。そして、私は男性的な道徳論と比しつつ、また媒介としつつ、皆さんが将来も無神経さを防ぎえる諸感覚をも皆さんの魂に植えつけたいのです。私は率直に認めます、つまり、私は神の摂理が私を立たせてくれた、まさにこの点から、少しばかり寄与したいのです。より男性的な思考法、向上と品位のためのより強い感情、すべての危険に対する自己の使命を果たすという火のような熱情を、ドイツ語が及ぶ限り、一切の方向に、また、なろうことなら、更に遠く広めるために。すなわち、将来、あなたがたがこの地方を去り、あらゆる所に散っていったときに、あなたがたの生活しておられるあらゆる所で、私が、皆さんの中に、皆さんが選出された友が真理だという男達を知らんがためにである。彼等は、その生と死の中で真理に執着し、真理が全世界から排斥されている時、真理を公然と保護し、また、大家の抜け目なく隠した憎しみ、気狂いの間の抜けた笑み、それから、狭量な人間が同情するように肩をすくめることを真理のために喜んで我慢するのである。このような意図で、私は私が語ったことを語ったし、またこのような究極的意図において、私が皆さんに語る一切を語るでしょう。」(三三四頁)

 この箇所は、フィヒテにおける思考様式の検討にとって重要であるように思われる。「私はこの一切を知っている」までを前段、以下を後段とするならば、前段では、(一)現実世界と思考世界の関係について述べられており、後段では、(二)フィヒテの思考世界の現実世界に対する(主観的に考えられた)意味が述べられている。(一)と同じ考え方は、公開講義の序言にある。−−フィヒテは「諸々の理想は現実世界では明示されないことを」「知っている」。それ故、「我々はただ、現実は諸々の理想によって評価されねばならないし、また、[現実は]自身に力を感ずる人々によって修正されなければならないことを主張するだけである。」無論、(一)、(二)が重なり合ってはじめて、フィヒテの思想の形式的側面がより明確化するのであるが。フィヒテは公開講義の第五講を終えるに当たって、思想における行動の意味を高く評価している。  

 「行動!行動!我々はそのために存在している。我々が[他者]より完全であるだけなのに、他者が我々ほど完全でないことを憤慨しようとするだろうか。まさに、この我々のより高い完全さは、我々が他者の完成のために働かねばならないという、我々に発せられた召命ではないか。」

 

 以上をまとめてみよう。フィヒテにおける思考という「行動」は、現実世界が思考世界、人間の本質を媒介とした世界に移し変えられることによって成立する。「世界の姿」に「判断」を加え、評価し、「自立思想家」(三三O頁)として「考察」し、「世界像」を描く(三三八頁)。現実世界を乗り越えらるべきものとして、あるべき世界に向かっての「努力」を助長すること、人間の本質にしたがって「文化の前進」を実現すること、その手段としての「相互作用」を重視することがフィヒテの狙いであったように思われる。

 

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