[読まなくてもいいようなところ]
むかしむかし15年くらい前、とある人たちがとあるところで作っていた「ももんが十番勝負」という不定期自主刊行物がございました。毎回テーマを設定して、それについて関係者や読者の皆様からいただいたお手紙を中心に構成されておりました。その中のひとつに「偏食は正しい」という回がございまして、このまま朽ちてしまうのももったいないと思い、ここに再録してしまう次第でございます。どうも「食べられない」ことがコンプレックスとなっていたり、トラウマとなっていたりするケースもあり、一部暗く重くなっておりますが、しょせん他人ごとですので気にしないでください。ははは。なにしろ
1985年のお原稿ですので現在では克服なさった方とか、あるいは増幅なさった方とかいらっしゃるかもしれません。その後、音信不通となった方もいらっしゃいますが可能な方には先日、新たにお話しを伺っておきました。ということでよろしく。

偏食じまん episode2「私はこんなもの食べません」

キノコである。まつたけ、しいたけ、えのき、しめじ、なめこにマッシュルームときたもんだ。ぬめっとしててらてらとして、ふにゃふにゃして、さらにあのくさい匂い、味、笠の裏のヒダヒダ……あー気持ち悪るー! もうどこがやとゆうと全てがやなのだけれども、なぜかとゆうと(知っている人は知っている話だけれど)それは、恐怖の幼時体験のせいなのである。
そう、子供の頃、親父に連れられて見に行った東宝怪獣映画のアノ名作といわれる「マタンゴ」その人である。のっけから難破船と無人島で、飢えた人間のエゴやパニックが描かれ、加えてキノコの怪物とその倒錯的な夢幻境……そしてそのラストの精神病院?の一室で、命からがら逃げ延びた男が振り向く……振り向くその顔には--怖い!どのくらい怖いかと言えば、踏めない水たまり。自分ひとりしか乗っていない終電。夜風に漂うビニールというくらいコワイ! あれを見てしまってもまだキノコが食えるなんて、ものすごい神経の持ち主である。そんな訳で、ぼくは料理に入っているキノコのどんな小さな一片でも見つけ出して取り除く名人なのである。(横浜市・田所康弘)

その後・結婚して子供もできたけど。キノコは今でも食べない。家族はみんなお父さんがキノコが嫌いだってことは知ってるけど、みんな平気で食ってる。あーやだやだ。

偏食に生きる人々が意外にタフであることはツカハラさんなど(よく知らないが)見ても事実であろうと思う。食べたくないというのは「これを食べてはイケナイ」という本能の警告なのである。体が拒絶する物を無理に食べても毒になるだけである。バタークリームのクリスマスケーキ、あれは人間の食べるものではない。(青森市・C)

「全部食べないなら食べるな」という父親のひと言が原因で、偏食が表面化してしまった。ひとり暮らしを始めてからは、食欲が全くなくなってしまったので、倒れないためだけに食事している。いきなり4キロやせたが、不思議と体調はよい。思い出すのは小学生の頃、友人の家で食事を出されて無理して食べたら、帰宅後、全部もどしてしまったことだ。それ以来、他人の家で食事するのが大嫌いになった。なにが嫌いかを書くより、なにが食べられるかを書く方が早い。要するに、私はわがままな性格なのである。嫌いな物は食べない。無理して食べるともどす。性格ばかりか体質までわがままに、おかげで貧血は直らず、今では食べる事自体がめんどうになった。暗い。(国立市・A)

私は子供の頃から一人で食事させられることが多かったので、いまだに正しい箸の持ち方すら出来ずにいるのです。親の職業柄、肉や魚の動物性タンパク質が中心の食生活だったために、体質がすっかり酸性化して、ほとんどの野菜に体が拒絶反応を起こすようになってしまいました。野菜はアルカリ性だから肉の3倍は食べなければいけないと言い聞かされても、泣きながら強制的に食べさせられることてで余計に苦しく悲しい辛い食卓になるだけのことで……。学校給食にしても、ずっと涙をこらえて野菜とにらめっこで、偏った栄養で、朝礼中に貧血で倒れるのも当たり前のことでした。そして、体格についていけない体力と、不健康な体質を改善しなければいけないと思い、自然食主義者になりたくてベジタリアンにあこがれる今日この頃なのです。(横浜市・Y)

なすはおいしい食べ物でした。焼きなす、天ぷら、お味噌汁、昔はおいしゅうございました。あの日は昼食には、なすの漬物がございました。ごはんを食べて、お味噌汁に手をつけて、お漬物を噛みしめてた、その時、その味が広がった時、私はなんとも言いようのない悪寒に襲われ……その日の食事を全部もどしてしまったのです。以来、なすを見る度に、それこそ坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、どんな料理になっていてもあの味を思い出し、食べることができません。ですから、私はいわゆる「偏食」ではないと思っております。(藤沢市・右田格之)

その後・結婚して子供もできて、なすも食べられるようになった。でももちろん好んで食べるわけじゃない。手をつけることができるようになった、ってぐらい。ただし、「なすの漬物」は今でも全然だめ。死ぬまでだめだろうな。

私はポッキーがキライです。どこがおいしいのかさっぱりワカリマセン。酒の席で出されてもメーワクなだけです。歯にへばりつくし、だいいち、あのチョコまずい。でも、どーでもいんだけどぉ、偏食ってもう古いと思う! 正しい正しくない別として。(杉並区・T)

 
二十歳になるまでキーウィフルーツなんて見たことなかったしさ、始めて見たときから外見が気持ち悪くて食えないんだよね。だいたい甘いくだものって好きじゃない。イチゴとかバナナとかさ。みかんもさ、山盛りになってると、まず色の青っぽいもの、それと触ってカタイやつをわざわざ選んで食うからね。イチゴはね、俺、カエルがキライだからさ。実家でイチゴ作ってたじゃない。それで、ビニール栽培の上をカエルが飛び跳ねてんのを見てたからさ、カエルがおしっこかけてたものなんてやだもの。(山口県出身・倉本浩典)

その後・いちごもキーウィもきらい。カエルもきらい。あ、イチゴはジャムだったら食べられるよ。

倉本浩典が何でカエルが嫌いなのか知りたい人はこちらへどうぞ → 


そして以下は1985年当時、偏食皇帝と並んで偏食二大巨頭と言われたもうひと方、偏食のプリンセスこと「どこしょに夢中」さん(本人のご希望により仮名)の手記です。その後、ご結婚なさって主婦業にも従事なさっているので、もしかしたら偏食直ったかな、でも今回、原稿はそのまんまでいいかどうか聞いてみたら「いい」とのことでしたのできっと今でもたいして変わってないんでしょう……。

「食べることは大好き……でも給食は恐怖でした」

「偏食」の原稿依頼が私のところにRRRとやってきた。これは当然のこと。なんせこの企画は「偏食王」さんと私のために打ちたてられたようなものなのだから。
確かに私は好き嫌いが激しい。一旦嫌いになると徹底的に嫌ってしまう(人間にも同じことが言えるなぁ)。そう、もう食べ物扱いしないのである。それでいて食べることは赤ちゃんの頃からどぅわぁい好きで、初めて覚えた言葉は「うま(ごはん)」だったらしい。今も勿論「ぐわん」は私に至上の喜びを与えてくれる言葉のひとつである(ジーン、いい響き)。

さて、偏食の私によく投げかけられる言葉が「何を食べてるの!?」である。食べることが大好きなのだから当然何かを食べている訳で、別に食べる物がなく困ったということはあまりないように思う。

サラダだって、きゅうりさんやセロリさんさえいなくなればおいしくいただける。そう、きゅうりと言えば、思い出したくない嫌な思い出がある。忘れもしない小学六年生の時、給食のおかずを決して残してはいけないという先生のお言葉によって、私は完全なる恐怖のどん底につき落とされた! なんせ給食、一本のきゆうりの3分の1くらいの大きさのが平気で、でんでんと出る。戦時中じゃあるまいし、どーしてこんなに巨大なきゅうりを食べなきゃいけない(何で食べられるんだろう、みんなは)のか!? 私は怯え震えた。給食の香りで校舎が包まれる頃、私はなぜこの時間があるのかさえ呪った。目の前にそれが現われた時は涙さえ出てきた。クラスメイトも私がそれを嫌いなのを知っているから、目をまるくしながら私を見つめる。ああ子供は残酷……。そうして私は心を決め、深呼吸をひとつしてから鼻をつまみ、きゅうりを口の中に放りこみ、牛乳で流しこむ。肉の脂身も鳥の皮も同じこと。こんなふうにして、食べて好きになれる訳がない、と私は思う。なぜ嫌いなのかわからない。ただ口に放りこんだ時、身体中の血の気がサーッと引き、鳥肌が立ち、目の前は暗くなり吐き気がする。この不快感は二度と味わいたくない!! と思うほど不快なもの。だから食べない、食べたくない。私の前できゅうりを食べた後は、しゃべらないでね。きゅうりの臭いがするから。

今はあの頃に比べて天国である。自分で食べる物が選べるのだから。中学生の頃食べられなかったお寿司も、今はほとんど(貝と光り物は今でもだめだけど)食べられる(きのこも食べられるよ)。ちゃんと食べられる物が増えているのだから、今、食べたくない物も食べたいと思える日が来るに違いない。

まだまだ食べられる物、食べたことのない物がいっぱいある私は、もしかしたら幸せなんじゃないかなぁ、と思う今日この頃。
P.S 原稿よりインタビューの方がよかったなあ。それもステキなお店で食事しながら。


「あまい! 偏食なら私にも言いたいことがある!」
という方はアンケートに答えてみてけろ。 


好き嫌いはいけないんだよ。
ふりだしにもどる。