18世紀の思想家マブリーの言葉について、フーコーは次のように注釈する。

「こう語ってよければ、懲罰は身体によりもむしろ精神に加えられんことを」(マブリー)   

 重要な契機だ。処罰の派手な見世物の古くからのパートナーたる、身体と血が場所を譲る。仮面をつけての、新しい人物の登場である。一種の悲劇が終って、ひとつの喜劇が始まっている*、黒っぽい輪郭を浮かび上がらせ、顔を隠したまま声を出して、手では触れぬ本体を見せながら。処罰中心の司法機構は今やこの身体なき現実を捕捉しなければならない。(21)

この仮面で蔽われた「身体なき現実」とは何か?ここに見られる視覚の構造にも注目しておきたい。権力の声は死刑台の死刑囚の顔を覆う布を通してひびきわたる。


*『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』(マルクス)の冒頭の有名な言葉をもじったものと思われる。(拙論『分身の系譜学と権力のテクノロジー ; フーコー『監獄の誕生』の哲学的意義』参照)
 

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