◆7月25日<夕方>◆
『小野寺さんの決意』
姉貴の家に連れて帰った小野寺さんを、医者に往診してもらった。
幸い、疲れから来る発熱だったらしい。休めば治るという事だった。
彼女は夕方までこんこんと眠り続けた。俺は気になって仕方がなかったが、なんとかTVを見て気を紛らわせて、彼女が目を覚ますのを待った。
俺は途中で思い出して弘に連絡を入れた。
弘も相当、心配していたみたいで俺の連絡を聞いてほっとしている様子だった。
そして姉貴が彼女の自宅の方へ電話を入れてくれた。とりあえず一晩家で預かる事になったらしい。
外が暗くなり始めた頃、彼女が目を覚ましたと姉貴から聞いた俺は、客間に向かった。
「小野寺さん。入っていい?」
「うん」
俺はゆっくりと障子を開ける。彼女はゆったりとしたTシャツに着替えていた。だぶん姉貴のだろう。布団の上に上半身を起こしている。
「大丈夫? 少しは元気が出た?」
「うん。…ごめんなさい。本当に迷惑かけちゃって」
「心配したよ、ほんと。でも、無事でよかったよ」
神妙な顔をして少しうつむいている彼女に、俺は出来るだけ明るい声で話した。
「それで昨日はどうしたんだ? 友達の家にでも泊まった?」
彼女は首を横にふる。それじゃあ…。
「ひょっとして、ずっと外だったのか?」
「……うん」
「雨も降っていたんじゃない?」
「……うん……」
あちゃぁ。
そりゃぁ熱も出るわなぁ…。
「…あのさ、小野寺さん。何があったのかは知らないけど、なんでそんな無茶なことするんだよ。熱出した程度で済んだからよかったものの、もし取り返しのつかない事になってたらどうする?それだけじゃないぜ。最近は変な輩も多いし…一晩中、女の子が一人で徘徊するのって危ない事なんだぞ」
「…ごめん…なさい……」
思わず叱ってしまった俺に、小野寺さんは素直に謝る。
上布団を、きゅっと握りしめた彼女の手の甲に涙が落ちる。俺は少し言い過ぎたなと思いつつも、厳しい態度を改めなかった。
確かにいろいろ事情があるんだろうけど、それにしても、あまりに考えなしの彼女の行動に俺は小言のひとつでも言いたくなってしまっていた。
余計なお世話かもしれないけど、俺にとって小野寺さんはそんなどうでもいいような存在じゃない。友達の一人として…いやそれ以上の存在として、彼女の事はとても大事なんだ。
慰めるだけが優しさじゃない。時には突き放す事も必要になる。
姉貴が話してくれた事だが、優しくしたり慰めたりなんていうのはそう難しい事じゃない。逆に相手の為に相手を突き放したり叱ったり怒ったりするほうが、よっぽど勇気のいる事だって。
そんな時って、自分は相手にとって悪者になってしまうかもしれない。
相手に自分の真意が伝わらないかもしれない。
逆に恨まれるかもしれない。
でも本当の意味で優しい人間ってそういうことに耐えられる人なんじゃないのかな。
ただ優しくする慰め合う関係なんていうのは、ただのなれ合いになってしまう。
相手の事が大切だからこそ、怒るときには怒る。
そんな事が大切だって姉貴は言っていた。
「とにかく、今回は無事だったから良かったけどさ。もうこんな馬鹿な真似はするなよな」
「…うん…」
そう小さな声でうなずく彼女。
そしてしばらくの間、俺達は何も話さなかった。部屋に彼女のすすり泣きだけが響いていた。俺はなんとなく居心地が悪かったが、それでもそのまま彼女の隣に居続けた。
彼女が落ち着いたのを見越して俺は聞いてみる。
「どうして親と喧嘩したんだい?」
「私の将来の事で、ちょっと意見が合わなくて…」
「将来っていうと進学のこととか?」
小野寺さんは鼻をすすると、気持ちを切り替えるように無理矢理微笑みを浮かべる。少し声がぎこちないものの、普段の口調で返事を返してきた。
「うん。わたしね、将来、お医者さんになろうと思ってるの」
「医者?」
そうか。昨日のハイキングの時、展望台で話していた事が思い出される。なるほど、結婚相手に負担をかけるかもしれない職業ね。
「そう。でも両親…特にお父さんは猛反対してるわ。そんな大変な仕事につく事はないって…」
たぶん小野寺さんの親は、昔、病弱だった娘が心配なんだな。苦しんだ分楽な人生を歩んで欲しい。そんな所だろう。
でも、俺たちに言わせれば本人の意志が一番尊重されるべきだと思う。