■美和編■
5日目【7月25日】


 
 
「わたしね、来年、家を出ることにしたの」
「え?」

 彼女は静かにそう言った。俺は思わず彼女の顔を見つめてしまう。

「昔、お世話になった女医さんで東京の方で大きな病院の院長をしてる方がいるの。私がもし医大に受かれば条件付で学費を貸してもらえる事になってるんだ」
「じゃあ、小野寺さん東京へ」
「うん。大変だろうけど、なんとか頑張ってみようかと思って」

 来年、東京へ出るのか…。
 俺は、その事に少なからずのショックを受けた。
 それは彼女との関係も卒業を最後に断たれてしまうという事なんだ。
 でも、それが彼女の望んでる事。俺がその事に対してとやかくいう権利はない。

「わたしね、もしその先生がいなかったら生きてはいなかったわ。生まれたときには10歳までもたないだろうって言われていたの。でも私は生きている。生きてこうして楽しい時間を過ごしている。友達もたくさんいるし、夢もある。恋だってしてるし、風を自然をこうして感じる事だってできる。運動だって勉強だっていくらでも出来る。普通の女の子と同じように…」

 泣いていた小野寺さんの表情に輝きが戻ってくる。
 なるほど。彼女の表情に魅力を感じるのはこんな所からきてるんだな。
 彼女の笑顔が他の女の子たちのどこか冷めた作り笑いと違うのは、本心から物事を楽しんでるからなんだ。
 いままで病気で押さえつけられていた好奇心や夢や自由が心底嬉しいんだ。

「だから今度は私が、昔の私のような子供たちに、生きる素晴らしさを与えてあげたいの。狭い病室から解放してあげたいの。私がそうしてもらったみたいに」
「小野寺さん…」
「わたし、生まれて初めて親に強く反発したわ。両親には悪いけど、どうしてもこの事だけは譲れない」

 彼女の目は真剣そのものだった。
 俺達が将来をいろいろ夢見るのと次元が違った。そこには他人には(たとえ親であろうと)割り込めない決意がある。
 本当の意味で、彼女だけにしか分からない実感を伴った夢。決意。それに俺は頭の下がる思いがした。

「おい、まこと。そろそろ彼女を休ませてあげな」

 姉貴が遠慮がちに襖の向こうから声をかけてくる。

「あ、そうだな。…小野寺さんの気持ち、よく分かったよ。でもさ、今回みたいな事があったら俺に相談してくれないか? 俺、出来ることならなんでもするからさ」
「うん。…ありがとう、宇佐美君」
「とにかく、今は体力を回復する事だよな。それじゃ、おやすみ」
「うん」

 俺は静かにふすまを閉めて客間を去った。