■美鈴編■
6日目【7月26日】


 
 
 船から降りた俺達は、言葉もなく、美鈴の別荘へ向かって夜道を歩いた。

 話すべきことはたくさんあるんだと思う。だが何を話していいのか、何を話すべきなのか解らないまま、ただ沈黙の時間が流れる。

 不意に美鈴が俺の腕に、遠慮がちに自分の腕を絡めてきた。

「べつに気をつかわなくていいわよ、まこと」
「な、なんの事だよ」

「あたしはこうしているだけで十分だから…。何を話そうかあれこれ悩まなくてもいいよ」
「な、なんでそんなこと解るんだよ」
「解るわよ。腐れ縁とはいえ長いつきあいなんでしょ? あたし達。なんだかんだ言いながら、いつもこうして私に気をまわしてくれていた事、よく解ってるんだから」

「…そうか。じゃあ、何も考えないことにする」
「そうそう。最後だもんね。お互いの存在さえ感じることが出来れば、あたしとまことの気持ちさえ感じることができれば、後はなにもいらない」
「そうだな」

 俺達は腕を組んだまま、ただ静かにお互いの存在を感じ合い、帰路を歩いた。

 もう少し早く、こうしていればよかった。もう少し早く自分の気持ちに気づいていれば…そしてもう少し早く美鈴の寂しさを癒してあげられていたら、そう考えると残念な気もする。

 でも、こうしてこの海でこいつとの出会いがなければ、俺達の気持ちはすれ違ったままだったろう。なにも知らないまま、お互いを理解しあえないまま美鈴はフランスへ発っただろう。

 これ以上望むのは贅沢なのかもしれない。

 今はただ、この時間を大切にしよう。あと少ししか一緒にいられない、この腐れ縁の生意気でわがままで、でも何処か可愛くて愛しいこの女の子の事だけ想って…。

 そして、時間は無情にも過ぎ、美鈴の別荘の前に着いてしまった。
 月の薄明かりが美鈴の寂しげな顔を一層儚げに見せてしまう。俺達は別荘の前でただ立ちつくしていた。

「…今日はありがとう。最後に…最後の最後に本当にいい想い出が出来た…来てくれて嬉しかった」

「美鈴…」

「あたし、今日のことも、この海でのことも、そしてまことと出会ってから今までのこと全部、絶対忘れないから。たくさんの嫌な日本での想い出のなかで、ほんの少しの…最高の想い出を忘れないから…まこと…本当に…いままで……ありがと…」
「俺…本当に、お前にいい想い出を作ってやれたのかな」
「な、…なに馬鹿言ってるのよ、当然じゃない。本当にあんたは馬鹿なんだから」

 目に溜まった涙を指で拭いながら、いつもの口調に少し戻って美鈴は言う。

「最後まで人のこと馬鹿、馬鹿言うなよ」
「馬鹿は馬鹿なんだからしょうがないじゃない、馬鹿」
「あのなぁ…」
「でも、あたしはあんたのそんな馬鹿なところに惚れちゃったのかもね。ちょっと悔しいけど」
「馬鹿な男とわがままな女が反発しながらもお互に惹かれてたってことさ」
「あんたね、もっとマシな言い方できないの?」
「なんだよ、お前が言い出したことだろ?」
「まったくもぉ〜。…って、あ〜あ、結局あたしたちって最後の最後までこうなのよね」
「いいじゃないか。俺達らしくて。しんみりっていうのも苦手だしな」
「そうかも…ね。じゃぁ、またしんみりしないうちに、さよならにしようよ」
「ああ」
「じゃあね、馬鹿男、私がいなくなったからって、寂しくて泣くんじゃないわよ」
「お前こそ、わがまま言ってお婆さんを困らせるなよな。向こうではちゃんと友達作れよ」
「余計なお世話!…じゃぁね、さようなら」
「じゃあな、美鈴」

 俺は振りきるように、別荘の門を開けて中に入っていく美鈴の背中を見送った。
 俺の胸に熱いものがこみ上げてくる。いままでの美鈴との想い出、特にこの海に来てからの想い出が蘇り、俺はいたたまれなくなった。
 俺は何度も別荘を振り返りながら、姉貴の家へと足を向けた。

 明日は俺もこの街を離れる日だ。