康太郎さんにスーツを借りて俺は待ち合わせの船着き場へ向かった。
ここでは夏場だけ観光船を使ったディナークルーズが行われている。けっこう人気が高く予約でいっぱいで、なかなか乗れないらしい。
「まこと、来てくれたんだ」
「ああ」
美鈴がいた。俺は軽く手を挙げるとこちらへ小走りにやってくる。少し大人びた格好に俺はドキリとした。
黒の胸元の開いたワンピース、髪を束ねレースの髪飾りで止めている。唇のは明るめ口紅。控えめだがうっすらと化粧をしているみたいだ。
しかし、美鈴がここに誘った理由を知った今、どういう態度で彼女と接したらいいか、少し迷っていた。
俺は美鈴に案内されるまま、船に乗り込んだ。そこは座席が取り外され、テーブルが並べられていた。まるでフランス料理店さながらである。
船が静かに港を出ると、美鈴が注文した料理が運ばれてきた。
「ここの料理、シーサイドホテルのシェフが調理してるの。腕は一流だから期待してね」
「そ、そうなんだ」
「あ、ごめんなさい。あたしが勝手に注文ちゃって。口に合わなかったら遠慮無く言ってね。それとも何か追加注文する?」
「いや、別に。気にしなくていいさ」
「…なんか、緊張するね。あんたとさ、こうやって改まった場所で向き合ったの初めてだから」
「あのさ、美鈴」
「え? …ごめん。そうよね。こんなの、私らしくないよね」
少し寂しそうに目を反らす美鈴。
「そうじゃなくてだな…明日、日本を発つのだってな」
美鈴は一瞬驚いた顔をする。
そして、手に持ったフォークとナイフを置いくと、寂しげに微笑んだ。
「…なんだ、もう知ってるんだ。深川にでも聞いたの?」
「ああ。今朝の美鈴、なんか、様子変だったから」
美鈴はしばしの間、うつついてだまり込んだ。
そして少し震える声で、ぽつりぽつりと話し出す。
「…私、これ以上、この国にいることが耐えられないの。信用出来る友達もいないし、親も私を利用しようとしてるだけだし、結婚相手だって自由に選べない。誰も私の幸せなんて考えてくれなかった。いい思い出なんて一つもなかった」
「……」
俯いたまま弱々しい声で話し出す美鈴。
そんなあいつに俺はかけてあげる言葉が見つからなかった。
どんな言葉も美鈴にとっては安っぽい同情としか聞こえないだろう。
「誰も本当の私の事なんか認めてくれないのよ。色眼鏡や偏見の目でしか誰も私の事を見てくれない。私はこんな所で一生を送るのは嫌。だからお父様には内緒でお婆さまの家へ逃げる事にしたの」
「もう決めてしまったのか?」
「うん。前々から決めていた事。だから最後に好きだった別荘で夏を過ごしたいと思って、この街に来たの」
「そうか。そういう事情があったのか」
「…でもね、あたし、一つだけ心残りなことがあるの」
美鈴は何かを決意したように顔を上げて俺を見た。
「私ね、日本に来た小学校二年の時、日本語もカタコトしか話せなくて、この外見だし、転校生だったし、みんなにけっこう馬鹿にされたり冷たくされた。でも、隣の席の男の子だけは違ったの。わからない文字なんかを教えてくれたし、私の話もちゃんと聞いてくれた。時にはいじめっ子からかばってくれたりもした」
「……」
「私、その男の子が好きになった。私にとって、彼がいわゆる初恋の人ね。でも周りから冷やかされるようになってから、その男の子は私を避けだした。今思えば、子供だから仕方ないって思うけど、その時の幼い私は傷ついたわ。そしてその男の子に意地悪をしてやろうって思うようになったの」
「美鈴…それって」
「中学ぐらいかな?その男の子が、普通に接してくれるようになったのは。私は自棄になってて、その男の子の優しさに気づかなかったの。そして同じ高校に入って、同じクラスになって、その男の子の事をまだ好きだって気づいたわ。でも、私は素直になれなかった。否定したかった。もう裏切られるのはいやだったから…だから私、その人の前で素直になれなかったこと、それだけが心残りよ」
彼女が誰の事を言ってるのか、いくら鈍感な俺でもわかる。正直、美鈴が俺の事を昔から、こんなふうに思っていたなんて夢にも思わなかった。
彼女の転校して来たときに親切にしたかなんて覚えてない。彼女との思い出はほとんどが口喧嘩だものな。少なくとも好意をもたれてるなんて思いもしなかった。
「わかってるさ、その男の子は。美鈴が素直になれない理由とかさ…」
「うん…。ごめんなさい。変な話をしちゃったね。さぁ、食べましょ」
気を取り直したのか、美鈴は俺にそう言って微笑むと料理を味わい始めた。
美鈴だってほんとはいい娘なんだ。美人だしかわいいところだってある。ただ、特別な環境に生まれたばっかりに、そんな所を隠して意地を張って生きてこなければいけなかっただけなんだ。