ザーーーー!!
雨が桟橋をたたく音だけが、あたりに響く。
「…バス停…」
不意に美鈴が口を開いた。
「え?」
「駅前のバス停…。この街で初めて会った日の夜も、こんな感じだったよね。雨が降っていて、偶然、二人で雨宿りして…」
「あ、ああ。…あのときはずいぶん酷い目にあわされちゃったけどな」
そういって笑おうとしたが、殴られたところが痛んで、中途半端な笑い顔になってしまった。
「ごめん…あたしって、ホント、わがままだよね。まことだって迷惑してるよね…。あたしにいろいろ親切にしてくれるのに…あたしのこと掛け値なしにかまってくれるのに、いつも意地張っちゃって…意地悪ばかりしちゃって、ホント、最低の女よね…」
自虐的に笑う美鈴。
「確かに美鈴はわがままでタカビーで嫌味な女だな」
俺がそう言うと美鈴の肩がビクッとなった。
「でもな、そんな美鈴を可愛いって思ってる奴がいるんだぞ。お前はそれをわかってるか?」
「…誰よそれ…」
顔を上げ俺を横目で見る美鈴。俺は彼女の頭にそっと手を添えて顔を完全に上げさせた。
「もちろん、この俺さ。…俺は、お前のいいところも知ってるし悪いところだって知ってる。でも俺はそれを全部ひっくるめて綾部美鈴って女の子が気に入ってる。好きだって思ってる」
「…嘘よ…そんなの」
目を見開き、驚いた顔で俺を見る美鈴。
「嘘なもんか。本当に嫌っているなら、こうしてお前と一緒にいたりしないさ」
「だけど…でも…」
「だからさ、消えてしまいたいなんて、悲しいこというのは止めようぜ」
「…う、うん。…でも違うの」
「違う?」
「…あたし…あたし、本当は素直になりたい。みんなとも仲良くなりたいし、まこととも喧嘩する関係だなんて嫌…。意地張ってる私じゃなく、素直になれない私じゃなく、悪態ばかりつく私じゃなく、素直な、本当のあたしを好きになって欲しいの…せめて、まことにだけは、あんたにだけは本当のあたしを解って欲しい」
「ああ。解ってるさ。お前のその素直になれない性格の裏に何があるのかくらい。腐れ縁とはいえ、長いつきあいだろ?俺達」
「…うん…」
「でも、意地張ってるところだって可愛いんだぜ、お前は」
「うん…」
「お前と喧嘩するのだって、嫌いじゃないし」
「うん…」
「裏目に出ちゃってるけど、一生懸命、友達を作ろうとしているお前の姿も知ってるし」
「うん…」
「俺がついていてやるから負けるなよ美鈴。もし嫌なことがあっても俺が今回みたいに守ってやるさ」
「いいの? …わがままで嫌われ者のあたしでも、まことは守ってくれるの? …きっといっぱい迷惑かけちゃうけど、それでもいいの?」
美鈴は不安と期待が入り交じった表情で俺を見る。
「俺は全然かまわないさ。俺自身がそうしたいんだから。もちろん美鈴が迷惑じゃなければだけどね」
「馬鹿…迷惑な訳ないじゃない…まこと…ありがとう」
ぎこちなく笑顔を作って美鈴は自分の人差し指で涙を拭った。
「……」
「……」
その後、なんだかお互い照れくさくなって黙り込んでしまった。
相変わらず、雨の当たる音だけが薄明かりの中、響き渡ってる。
俺は外の様子を見る為に立ち上がり、真っ暗な空を見上げた。ここに逃げ込んでずいぶん経ったような気がするが、雨はいっこうに止む気配はない。
俺はそのまま桟橋の上の街灯の光りに雨粒が反射してキラキラしているのを何となく見ていた。
「まこと…」
不意に暖かなものを背中に感じる。
俺に美鈴がきつく抱きついたのだ。甘い匂いと彼女の肌の感触に俺は少々戸惑った。
「どこにも行かないでよ…」
「馬鹿言うなよ。何処にも行くわけ…」
俺は美鈴が震えているのを見て、言葉を止めた。
「お願い…今は、今だけは一緒にいて…」
美鈴の表情は今までに見たことのないものだった。不安で怯えている顔だった。誰かに支えてもらいたい。誰かに守ってもらいたい。そう彼女は訴えていた。強がって、弱いところを見せるのが嫌いだった美鈴。彼女がこんな顔をするなんて…。
「美鈴?」
「お願い…暗闇を見つめてるとこのままだと嫌な事ばかり考えて…不安でたまらないの…今だってまことが私を置いて一人でどこかに行ってしまいそうで怖かった。だから少しでいいから、こうしていさせて」
俺は、そっと立ち上がって、ゆっくり美鈴を抱き締めた。美鈴の吐息、美鈴の温かさ、美鈴の心臓の鼓動が肌ごしに俺に伝わってくる。美鈴の身体は意外に小さかった。ふくよかな胸の感触が伝わる。女性の匂い…濡れた黄金色の髪が俺の頬をくすぐる。
「もっと強く抱き締めて…まことの存在を感じさせて…」
美鈴が俺の背中にまわした手に力が入る。しがみつくように俺に抱きついている美鈴。そんな彼女の髪をそっとなでながら、俺は囁いた。
「美鈴…俺がついてる。不安な時は俺がいる。側にいるから…」
「まこと…まこと…まこと……」
美鈴は俺の胸の中でがむしゃらに泣いてる。俺はただ、抱き締めて彼女の頭をそっとなでてやった。それが今、俺が美鈴に出来る事の全てだった。