■Artist File : Kadomatsu Toshiki
  1981〜1987 : シティポップス時代
History & Review
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"SEA BREEZE"
1981/06/06 release




※私と角松とは大学時代に同じバンド・サークルに所属していた同級生だったということで...。
待望のデビューアルバム。超豪華なバック・ミュージシャン。当時人気のParachute隊に村上ポンタ秀一、後藤次利、佐藤準、Epo、Buzz、Jake H Conceptionなど当時の一流どころを揃えてのレコーディングには本気で驚きました。曲調は当時流行のシティ・ポップ。山下達郎の二番煎じと揶揄されたけれど、達郎が60年代のフィラデルフィア・サウンドをバック・ボーンとしていたのに対して、角松は完璧80年代指向の7thテンション・コードとシンコペーションを多用したコンテンポラリー・サウンドと似て非なるテイストがあったことに気付く人は少なかったようです。さらに性質が悪いことに、当時聞いていた音楽が似ていたようで、同じアルバムに影響されて曲を作ったと思われるふしがあります。すると方や人気のポップ・シンガー、方やポッと出の新人としいうことで、世間は見方を誤ってしまいますよね。しかし夏・海・太陽...当時の学生はこんなことばかり考えていたって、今思えば懐かしい世相。<Wave>の前の波の音のSEに気恥ずかしさを感じつつも、私自身の趣味とバッチリ合う「こんなアルバムが聞きたい」って音を実現してくれた仲間の出現に心から応援したいと思った。
実は角松はサークル内ではほとんど歌ったことが無かった。デビューが決まったとの話が伝わってきて、「ギターだけでデビューって?」とちょっと驚き、歌うと聞いて「角松って歌えるの!」と仲間は全員もっと驚いた。今から考えると笑えるけれど紛れもない事実。さらにもう一つ驚いたのは本人がレコーディングでギターを弾いていなかったこと。ご自慢のGibson335を抱えてスタジオ入りした角松は「君は良いギターを持っているね」の一言で片付けられてしまったとか(^^;;)。サークルのNO.1ギタリストがその程度の扱いだとは...プロの世界は厳しいなと実感しましたね。デビューのきっかけとなった名曲<Still I'm In Love With You>のデモテープはサークルの各パートNo.1ブレイヤーが揃えられて録音されたもの。この曲のモデルとなった娘の顔が浮かぶなんて...ちょっと複雑な気分(^^;;)。この曲を聴くとAirplayの<Should We Carry On>が聞きたくなるのは何故?(激爆)。当時仲間と吉祥寺で飲んでいて帰れなくなり角松家に深夜おじゃましたことがあった。夜中だというのに息子の友達が来たということで、つまみやお酒を出してくれた優しいお母様。当時はまだ珍しかったビデオで「歌う天気予報」に出演した時の角松の映像を見せてもらった。その間、角松の部屋ではきちんと整理されたビニ本に狂喜していた連中もいた(笑)。あまりレコードがたくさんあるって感じの部屋ではなかったような...。
デビューのきっかけとなったビクターのオーディション大会。角松が参加した翌年の東京地区予選の決勝大会のゲストとして出演。アルバムが出てから中々ライブを見る機会が無かったので、サークルの仲間と高田馬場ビッグボックスのビクターのイベント・スペースに見に行った。アルバム1枚じゃステージが作れないと、まだ未発表だった<Office Lady>やサークルの先輩のオリジナル曲<小粋>などを含めて30分ほどのステージだった。サークルの発表会を見いてるって気分になりました。

"Weekend Fly to the Sun"
1982/04/21 release




デビュー2作目にして海外レコーディング!。しかもメンツがめちゃくちゃ強力。当時大流行だったAOR系のTOTO/Airplay関係ではなく、Tom Tom 84だのAl MackeyやCalros Riosなどのブラコン系セッション・ミュージシャンが多用されている辺りは、並みのミュージシャンの海外録音とは一味も二味も違う質感となって伝わってきます。
1stアルバムが大学生を含む若者全体を対象とした作品だとすれば、こちらは完全に社会人やOLをターゲットとしていると言えるでしょう。ライナーで角松自身が語っているように、青臭いけれどある意味で純粋な学生よりも、ある程度社会の裏表を見聞きしていきて、それでも自分の大切な何かを探すという、世代的には多少背伸びした感覚への憧れに溢れているということなのかもしれません。まぁ彼の制服好きは有名な話ですから、OLさんの制服姿にクラクラきても仕方ないかもしれませんけど(^^;;;)。
肝心のサウンドは、時代のコンテンポラリー感覚満載。あれはこれ、これはそれと、元曲が続々と浮かぶのはご愛嬌(笑)。でも当時は本当にこんな感じの曲が流行っていたんですよ。そして一つ注目、2作目にして念願かなって1曲だけですがギタリストとして本人の名前がクレジットされています。でもどのフレーズだろうって感じで地味ですけど...。それと今でもバンドメンバーの中核をなすキーボードの友成さんもクレジットされています。しかし、インナーに写っているボーダー・シャツ着て指を咥えている本人の写真は何とかならないものでしょうか(笑)。時代といえばそれまでですけど...(^^;;;)。
当時のセールスプロモーションの主流はCMタイアップ。今も健在な手法ですが、当時はまだその走りで、タイアップが付けばヒットは確実...そんな方程式が生きていた時代といえます。当時はまだ流行の最先端だったリゾートの雰囲気にマッチしたテイストからJALの沖縄キャンペーン・ソングに決定していたのにもかかわらず、羽田沖への逆噴射墜落事故による同社のCM活動自粛のアオリを受けて、敢え無くお流れ...。角松のメジャーへの道が閉ざされた瞬間でもありました。彼の沖縄へのリスペクトはまだ早いとの導きだったのかもしれません。後に壮絶なリベンジが行われようとは、神ですら思わなかったでしょうけど...。

"On The City Shore"
1983/05/21 release


LA録音に豪華メンバー参加と傍目には順調に見えた活動も、彼自身の中ではアルバム・キャンペーン以外は事務所の方針で「ライブが出来ない...」という苦悩の日々だったようです。アルバム『Weekend...』をリリース直後に所属事務所を移籍してしまいます。楽曲提供などで縁ができた杏里が「うちの事務所においでよ」と誘ってくれたのがきっかけだったとか。Marmaradeという音楽事務所で、所属アーティストの他にもイベンターとして当時は幅広く手がけていました。ここで彼のマネージャーをしていたのが、今でも角松の良き理解者としてバックアップしている国分さんでした。渋谷の東急ハンズ前のルノアールの入っているビルに当時は事務所がありましたっけ。
そんな彼が、やっと自分の演りたい音を自分で作ることができた...それがこの『On the Cith Shore』です。もちろんセルフ・プロデュースで、自分で目にかけてきた日本の若手ミュージシャンを中心に、実力派スタジオ・ミュージシャン達で脇を固めた入魂の作という感じです。中でも後までも角松バンドの要となる青木智仁は、このアルバムから初参加です。青木氏を発掘したおかげで今後の角松の方向性は、シティポップスから和製ダンスミュージックへと傾倒していきます。いずれにせよ実際に「本当に演りたい音ができた」かどうかは別としても、そんな環境に自らを置くことができた...それは彼にとって幸せだったと思います。よき理解者に恵まれて....。彼のデビュー20周年記念ライブの幻となった初日のゲストの杏里の名前があったのは、特別な思いがあったものだと思います。
時代の空気を敏感に感じていた彼に注目したのは音楽ファンだけでなく、シングル盤の<Sky High>は、当時はまだ元気のあった?ワーナー・ランバード社の髭剃り「Schick」のCMソングとして採用されてスマッシュ・ヒットとなりました。青い海原を飛ぶ真白のスカイダイバーの姿は爽やかそのもの。印象的なCMでした。悲劇的なタイアップ流れをたった1枚のアルバムで見事に挽回するのはサスガって感じ。でもこの雰囲気はまさに当時の時代性を感じますね。
楽曲によっては特定の女性に捧げる...みたいなスタイルと、裏ジャケットでサーフボードを抱えた姿を見せるなど、「軟派なヤツ」との印象を徹底的に植え付けて(笑)、一部男性ファンからはひんしゅくを買ったものの、自身の音楽性を活かした和製ダンス・ミュージック路線は純粋な音楽ファンからは支持され始めたと言える気がします。ちょっとハネたシティ・ポップス...同種の音楽を聞かせていた山下達郎と、ルーツの部分では重なるものの、一線を画した指向は、実は現在の彼の音楽性にも見え隠れする部分だったりします。ラストを飾るバラード<Let Me Say...>などは、彼の敬愛するLuther Vandrossを彷彿とさせたかったと覗えます。

"Do You Wanna Dance
 / It's Hard to Say Goodbye
 / Fly-By-Day" (12inch Single)
1983/10/21 release


角松初の12インチ盤(LPと同じサイズ)シングル。当時この手のリリースが大流行していて、その多くはアルバム収録曲のリミックスでしたが、彼はバリバリの新曲をリリースしました。彼の作品を時代別に区分して、この時期はまだ「シティ・ポップス」時代(笑)だけれど、彼のダンス・ミュージックへのアプローチはこの辺りから始まったといえるでしょう。当時はまだまったくの無名の女性シンガー国分友里恵とのデュエット曲<It's Hard ...>は大いに話題になりました。何が話題って、「おいおい、ここまで」という具合のパクリ具合(^^;;;)。彼も敬愛するプロデューサー&ドラマーのNarada ichael Waldenと黒人女性シンガーAngela Bofillとのデュエット曲に、まさにクリソツ。あまりのそっくりさに「.....」と言葉が無いくらいであります。まぁ、いずれも角松の時代を見る目のなせる業ということで...。
 国分はその後数々のセッションで引っ張りだことなり、角松も所属していたAirレコードより数枚のソロアルバムをリリース。現在では山下達郎のツアーメンバーとして欠かすことのできない存在として活躍中です。またキリスト教関係のアルバムを旦那とともに制作するなど、充実の日々を過ごされています。この時期、角松と付き合っている?なんて噂も立ちましたが(笑)、この時に彼の毒牙にかからずに本当に良かったですね(爆)。After 5 Crashのツアーの時にゲストで彼女も来ていて、角松に紹介されて客席からスッと立ち上がり舞台に上がり、ベタベタのバラードを熱唱した後に、何事も無かったかのように背筋をスッと伸ばしたまま舞台袖に引いた彼女の姿は、強烈に印象に残っています。

"After 5 Crash"
1984/04/21 release


「午後5時を過ぎて、OLが制服を着替えて街に飛び出す...」なんともバブリーな雰囲気漂う光景じゃないですか(笑)。当時の新人サラリーマンは、持てる資金を夜の街に全力投下していて(爆)、ディスコだカフェバーだと夜な夜な獲物を求めて彷徨う...これって、普通の行動パターンだったんです。もちろん私を含めて真面目なビジネス・マンも多数いましたけどね(自爆)。そんな20代前半の心情を角松はうまく曲にのせて、爆発的なヒットはなかったもののコンサート会場は都会では盛況でした。このアルバムを「一環したテーマをトータルに表現したアルバム」との評がありましたが、頭の中は「美人OLをいかに引っ掛けるか...」なんて、そんなことしか頭の中に無かった時代ですもの、いやでもテーマは一つになりますよね(笑)。まぁ、どう評しても自由なんですが...。私にはトータル性という言葉ではこのアルバムは語りたくないですけど。
先の12インチで参加した国分友里恵はこのアルバムでもコーラスで大活躍。中でも半インスト?で当時としてはまだ珍しかったRapを大胆に導入した<Step into the Light>やタイトル曲の<After 5 Crash>などでは、彼女の澄んだ美声が響いています。
<Do You Wanna...>での話の続きですが、こうしたダンス・ミュージックへのアプローチを深めていった角松でしたが、まだこの時期は、その主体をまだシティ・ポップスに置いていて、あくまでアルバム全体のバリエーションの一環としてブラコン的な曲をおいている...そう感じます。こうしたある意味でのクロスオーバーな展開の中で、角松サウンドのオリジナリティが段々とカタチ作られている、まだまだ成長途上だけど期待度抜群...そんな感じでしょうか。

"Girl in the Box
 / Step into the Light" (12inch Single)
1984/11/21 release


7インチの通常盤シングル・リリースから1ヶ月後に発表された12インチ盤。野獣気質(笑)がエスカレートして、午後10時が門限の箱入り娘をいかに落とすか...これがズバリこの曲のテーマだったりします。後に角松サウンドで重要なファクターとなるNYファンクの臭いがプンプンしています。角松が敬愛して止まないドラマーの故ヨギ・ホートンと、エンジニアのマイケル・ブルワーがこの曲から参加です。

"Gold Digger"
1985/05/21 release


全体としてバリバリのダンスミュージック・アルバムって感じもしますが、本格的なテイストの移行とはまだまだ言えずにあくまで助走期間でしょうか。キー・マンのマイケル・ブルワーとの共同プロデュースで制作されたこのアルバムは、5曲でユギ・ホートンが参加。このアルバムで彼の音楽性の次のステップの方向性が確立されたアルバムだといえるでしょう。以降コンサートでもお馴染みになるスクラッチを角松がこのアルバムで初めて披露しています。
そんなダンス系のサウンドに耳をとられていていはいけません。このアルバムでもっと注目しなければならないのは、角松ポップスがある意味で成熟期を迎えているという点です。<Melody For You>や<Mermaid Princess>、そして<No End Summer>の存在です。デビュー当初の角松は、しょせん達郎ポップスの二番煎じという地位に甘んじていました。それでもここにきて明らかにバックボーンの違う、角松ならではのポップスが見えてきます。<Mermaid...>などは曲調は3rdの砂浜の未亡人と同じですが、一味も二味も違うこなれたメロディ・ラインをこの曲では聞かせていますし、叶わぬ恋を壮大に歌い上げる<It's Too Late>、そして永遠の夏を歌う<No End...>。いずれも見事なほどの角松節です。次に向かうべき方向性が見えてきたからこそ、そんなオリジナリティ豊かな「自分の曲」が書けるようになってきた...そう思えてなりません。この時期のポップス曲は鳥肌モノの出来だと断言しましょう。

"T's Ballad"
1985/11/21 release


角松がデビューしてもうすぐ5年。自分が向かうべき次のステップが見えてきて、今までの活動を一度総括しておこう...そんな時期に入ったのだと思います。達郎ポップスの二番煎じという言葉を良い意味で捉えて、達郎に並ぶポップ・ミュージシャンを角松は目指していたと思います。そんな彼がコンピレーション盤を制作することとなり、過去のバラード曲を中心に選曲した...これは取りも直さず次はダンスだとの自覚があったからたと思います。
 そしていきなりの<Still I'm in...>。この曲こそ彼のデビューのきつかけとなった曲だし、思い入れの一番ある曲。そしてそのオープニングを何と吉田美奈子にソロで歌わせるなんて...。初めて聴いた時に思わず嬉しくなってしまいましたよ。山下達郎と吉田美奈子の関係は、単にシンガー&プロデューサーと、コンポーザー&バックミュージシャンの関係ではありません。お互いがお互いを高め合い、深め合っているという傍で見ていて羨望の的。そんな美奈子の起用を、角松はジッと待っていたに違いありません。そして満を持して起用した曲が<Still I'm in...>だったなんて。デビュー仕したての頃に、こんなミュージシャンと一緒にアルバム作りたい...と言っていたNo.1とのコラボレーションがようやく実現した、納得の1曲といえるでしょう。
例えばLPとシングル、オリジナル盤とコンピ盤。ファンからすれば、そのミュージシャンの出すアルバムは欲しいけれど、テイクもバージョンもまるで同じ曲を何曲も買わされては堪ったものではない...音楽ファンでもある角松自身は常々そんなことを言っていましたっけ。で、自分が出す場合も...当然、同じものは極力避けるという基本方針は貫かれていました。コンピ盤とはいえほとんどの曲を新録・リミツクス、パートの差し替えなど手を加えています。ある意味で、リリース時点では妥協したものを納得するカタチに直しておく作業...これって、達郎もよくやることなんですよね。
 スチューワーデス(制服)好きな角松だけでなく(^^;;)、当時の日本を震撼させたJAL123便の乗客に捧げた<Ramp in>は何度聴いても涙を誘います。そういえば彼のデビュー20周年記念の野外ライブの折に、ちょうどこの曲を演奏する前にJAL機が上空を横切ったのには驚きました...。

"Touch and Go"
1986/06/11 release


前期?角松ポップス・サウンドの集大成。NYダンスのリズムをベースとしながらも純粋ポップスを追求したアルバムいえる...なんて、めちゃ大袈裟な評ですね(自爆)。オープニングの<Overture>から「おっ、何かが始まる...」なんて期待感タップリ。リズムは強調されつつもメロディ・ラインは実に優しくて、ポップスってこえでなきゃなんて作品が続く。既に盟友と化した故ヨギ・ホートンとのコンビネーションも抜群で、NYでのレコーディングが中心にもかかわらずアメリカ東西の一流ミュージシャンを贅沢に配したキャステイングは、曲がりなりにもコンスタントに実績をあげてきた角松のキャリアの成せる業なのかもしれません。
次期角松サウンドの主流となるNYファンクに乗せる自分のメロディも見えてきて、<Lucky Lady...>や<Pile Driver>などはかなり余裕のスタンスでダンス・ナンバーを作っているように感じます。一方でホーン・セクションを効果的に用いた<1975>や<Best of Love>などは実に心地よいナンバー。ダンサブルでメロディアス...第1期角松ポップスが、ここに極まれりというところです。

"T's 12 inches"
1986/12/15 release


続々とリリースしていった12インチ・シングルをまとめた1枚。当然(^^)初収録&再リミックスのテイクを含めてお得な盤になっています。何といっても注目は直前にリリースされた新曲<初恋>。マーカス・ミラー、ヨギ・ホートン、リチャード・ティといったNYのバリバリの一流ミュージシャンに加えて、吉田美奈子のコーラスも強力にフューチャリングされたサウンドは、当時の洋楽シーンと比べても引けをとらない出来栄え。
 12インチ・シングルという新たな表現手段を究極まで追い求めていく当時の角松は、創作意欲に充ち溢れていた時期なのかもしれません。

"She is A Lady"
1987/07/01 release


"T's Ballad"で吉田美奈子を起用してミュージシャンとしての一つの目標を達成した角松。その後"Touch and Go"で自身のポップス・サウンドを極め、"T's 12 inches"でダンス・ミュージックという次代の方向性を強烈に示す...この時期、自身のキャリアにひと区切り付けていったように思います。そしてもう一つ、自身の目標(ミュージシャンやるなら、こんなことをしてみたいという希望?)を叶えます。
 全編インストによる角松風フュージョン・アルバムの制作を遂に実現します。ギターは当然自分が演奏するとして(^^;;)、他のメンバーはまさに使い放題で、村上ポンタ秀一、ベースにはカシオペアの桜井哲夫と高水健ニ、キーボードに天才・佐藤博、他にホーンセクションも贅沢に導入するなど、まさに角松のイメージする究極のジャパニーズ・フュージョン・アルバムがここに完成します。
 一連の「まとめアルバム」制作を受けて、角松の音楽的なキャリアもいよいよ第2ステージに突入か...そんな予感が広がる中で、期待を上回る新作が着々と準備されていきます。シンガー、コンポーザーとしてだけでなく、ギタリスト角松を120%アピールする1枚といえるでしょう。元々はギタリストなんですけどね...。

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