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父94才の誕生日に


父上様、お誕生日おめでとうございます!
2月10日、、あの悲惨だった戦争から生還された日が奇しくも誕生日と同じ2月10日でしたね。

引き上げ船が港に着いてから、家の玄関に姿を現されるまで何日がかかったのでしょうか。幼かった私共姉弟にはまるで分らないことでしたが、何度となく迎えの人を出しては空振りが続き、そのたびに落胆する母上を見て、子供心にも母上を気の毒に思ったことをよく覚えています。

携帯電話どころか電話もない時代でしたから、情報が伝わる速度の遅さは、今とは比較するのさえばかげたほどのものでした。待つ者はひたすら待つだけということが当たり前の時代でした。

温暖化と騒がれるようになった昨今は降る雪の量が減り、冬の気温も昔より高くなり、玄関前に雪が積もることが稀になったとのことですね。60年以上も昔の2月10日は、ボタン雪が降りしきり、庭木に重く積もり、表の道路から玄関までの小道には、脇へどかしてもどかしても雪が降り積もって、折角の道がたちまち平たくなってしまうほどでした。

門の横の大きな山茶花の枝が雪の布団をきたようになっていて、その雪の布団の狭間から濃いピンクの花びらが凍えるような風に揺れながら見え隠れしていました、雪の白とサザンカのピンク色が今でも鮮やかに目に残っています。お帰りがまだかまだかと何回も外を覗いてみていたからでしょう。

門の外が一瞬賑やかになったと思うと同時に茶色の、あの頃は国防色とも言いましたが、カーキ色のマントが二つ、大きな塊のようになって雪の向うにわさわさと動いて見えました。家中の者が玄関に飛び出しました。

「お帰りなさいませ!」大人たちの挨拶が続き、弟と私はなにも言えず、ただウロウロするだけでしたが、それでもセリフは前の晩にしっかり用意はしていたのです。弟はまだ事実がしっかり把握できていませんでしたから、いたずらにおちゃらけて、母様にこっぴどく叱られていました。

私はといえば練習した言葉はどこかへ吹っ飛んでしまい、ただお帰りなさい、、と口ごもり、何年ぶりかに父上に会えたことが、わけもなく恥ずかしいと思っていました。

終戦からまだ2年たらず、物資や食料は極端に不足していたというのに、その日の夕餉のささやかな宴会には大きなシャケがお膳にのっていました。そこだけが明るく輝いているような鮭の身のうすいピンク色と、皮のまだら模様を実によく覚えています。

めったに見なかった嬉しそうな母上の表情とご馳走への期待が一緒になって、舞い上がりたいような気分でしたから、なおさらよく覚えているのでしょう。

お客様方も帰られて、たっぷりと沸かしたお風呂に満足そうに、嬉しそうにつかっておられるのを弟と何回も覗きにいってはまた叱られました。あの日はどんなに叱られても何とも思わなかったのです。

会社へ復帰後はすぐに議員への立候補でしたね、選挙戦は地方とはいえそれなりに大層で、人々の出入りが激しく、子供は邪魔にならないようにと気を遣ったものでしたが、町で堂々と演説をされる父上を見て、今で言う「カッコイイ!」と思い、誇りに感じたものでした。

対外的に忙しい日々で子供には遠い存在の父上でしたが、常に頭の上に優しい視線を感じていました。私達の大学受験に付き添ってくださったのはいつも父上でしたし、大学に入ってからも公用で京都にこられるたびに必ず寮に立ち寄って下さいました。言葉少なで何も言われないのですが、思ってくださる気持ちはしっかりと通じていました。

国会への陳情のための上京が体にこたえるようになったということもあって、公職からの引退を決意されたのでしたが、その後も地域や町の様々な事柄にたずさわり、頑張ってこられました。ようやく母上と二人のゆっくりした老後の生活にリズムが合いだした頃に突然
母上が亡くなられました。

あの時の父上の悲嘆は大きく、はたで見ている私共にもその哀しみが伝わってきました。「もう自分はこれから先、あまり長くは生きられない、、」と言われる言葉を否定しながらも、あまり長くはもたないかもしれないと子供達が思ったことも事実です。

あれからもう12年が過ぎ、父上は今年94歳になられました。立派に一人暮らしを貫き、掃除や買い物などでは他人の手を借りるものの、あの広い家の中でご自分のことは自分で全てこなしておられます。

傍の家にいてなにかと世話をしていた弟の方が68歳で作年秋に早々と逝ってしまいました。逆縁になってしまった父上が、はたして今、心底からお幸せかどうかはわかりません。

でも、心身ともにひどい故障もなく、大きなやまいもなく、自力で生活できておられるというそのこと自体が稀有なことであり、誇るべきことなのだと思います。そして私共子供達もそんな気丈な父上を誇りに思い、見習うべき人生の先達と感じております。

いつも外野に居て、何の手助けにもならないでいることを申し訳なく思いながら、今年もお誕生日を遠くからしかお祝いできないことをご勘弁下さい。

まだまだ寒さ厳しいこの頃です、どうかどうか、ご自愛下さい。 2009年2月10日

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