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喪中の思い

近しい者が亡くなった時には、その死を悼んで、身を慎むということが日本では形式的にせよ引き継がれてきています。喪に服すると言うことなのでしょう。本当の意味の「服喪」は 、門を閉ざし、人の出入りをやめ、精進食以外は摂らず、一切の祝い事から遠ざかるというものでした。それが今でも部分的に受け継がれているのが『喪中の年賀欠礼』なのでしょう。

夫婦とも高齢者であることは、毎年年末になると、「喪中の葉書」がどっさり届くということなのだと認識するようになりました。100才の親御さんを80才に近い老人がお見送りされて、喪中葉書を下さるのです。

ご自身がこの先、もう残り少ない年月しかないのに「 服喪中は故人の冥福を祈り、行動を慎み、晴れやかなお式に出席したりせず、正月飾りや正月料理、お屠蘇は慎む、その上年賀状のやりとりもしない」など、、ただでさえ淋しい老人のお正月がもっと淋しく哀しい気分になるのではないかと、ず~っと思ってきました。友人が喪中だったお正月には、年末にお節を造ってお届けしたりしていました。ですから、自分の母親が亡くなった時も、遠く離れた実家のことなどご存じない方々への「喪中葉書」はやめにして、通常通りにお正月を迎えました。関西風お雑煮を楽しみにしている連れ合いに「正月料理は今年はやらない」、、などとはとても言えないことですし、形式的なことが嫌いで、仏事に疎い夫は面白くなかろうとも思ったからでした。

数え年99才で父親が亡くなりました。本人も周囲も覚悟のことでした。育てて貰った事に対する感謝をこめて、その死を小さな文章にしてホームページにUPして、自分なりに気持ちに区切りをつけました。律儀な方がお読み下さり、「今回は喪中になられますから年賀状はお出ししません」とご丁重なメールを頂き、驚きながら少し狼狽もしました。もうとっくに年賀状の手配をしてしまったからでした。きっと物知らずな人だと思われたことでしょう、でもなぜか『喪中の葉書』を出す気にはならなかったのです。

85才になった連れ合いとの連名の年賀状は、今年で最終と決めていました。私個人は、もし運があって生き続けていたら、同じ年になるまでは続けようと思っています。これから先、近しい人が亡くなったとしても、喪中欠礼の葉書はやっぱりお出ししないと決めています。古い仏事のならわしを何一つ行ってきていないのですから、「喪中」だけをやることに忸怩たる気持ちがあるからかも知れません。

遠州灘の強風が吹きすさび、雲が払われて晴れわたったまっ青な空に、富士山の遠景がはっきりと見えるこの頃、降り注ぐ東海の陽の光を、少しでも分けてあげたいと、父親の住まいした北陸の里の、鉛色の重い空ばかりを思い出す寒中となりました。きっとこれが、私の喪中の思いなのでしょう。(2014.1.19.)
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