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線路の音




その線路の枕木の間には春になると土筆がチョコチョコと芽を出し、しばらくすると青いツギツギ草(すぎな)が、かたまってあちこちにツンツン生えた。1時間に3本程しか走らない単線の電車のダイヤでは、春草の芽吹きの勢いの方が強かったからだ。

土地の子供達は遊びに飽きてくると、線路に繰り出した。ポーッという警笛の音がすると一斉に線路に耳をつける。まるで津波が襲ってくるかのような・・低い地鳴りのような音が次第に音量を上げ、耳にかぶさって段々大きくなってくる。ゴウン・ゴウン・グオーッ・・もうすぐ電車が来る!「ポーッ・ポー」

カーブを曲がって緑の木々を押し分けるように進んで来る電車の先端が向こうに見えるやいなや、みんなさっと線路から下りて素知らぬ顔で通過する電車を見送る。ゆっくりとと走る電車でも、風圧は子供達にとってはかなり大きく、息をつめてしっかりと脇道に立っていなければならなかった。通過するやいなや又一斉に耳を線路につける。すると今度は反対に、耳に響き渡っていた轟音は、段々潮の引くように小さくかすかになり「カタン・カタン・カタカタン・・」と消えていく、ただこれだけのことなのに無性に楽しかった。ちょっぴりスリルもあり、飽きることがなかった。

冬はかなりの降雪がある雪国のこと、一晩中雪が降り続く時は、夜の間中除雪の機関車を運転して線路に雪の積もるのを防いでいた。その時はいつもの「ポーポー」という音では無く、「ピーッ!」という鋭い警笛が地吹雪を切り裂くように何度も響いていた。夢うつつでその音を聞きながら眠った。

線路が町の西側を取り巻くように敷設されていて、町並みの途切れるあたりから山地に入って行く。曲がりくねった山すそを縫うように伸びた線路は、途中で冬鳥越え(ふゆどりごえ)というロマンチックな名前のついた小さなスキー場の駅を通り、七谷(ななたに)を上り下りし、交差する電車を待って停車したりしながら隣町まで小一時間もかかってのったりと走っていた。

旧式のビンディングのついたスキー板を担いだ乗客を乗せて、電車は重たげに頭を左右に振りながら、ゴトゴト走った。そんな昔のある日、ブレーキが効かなくなり、七谷付近を猛スピードで下り出したことがあったという。あわや転覆かと思われたが、当時の車掌が、とっさに自分の履いていた長靴を脱いで、床の点検口から突っ込んで、電車を止めたとか、その事件は、まるで見てきたかのように話す爺サマ達によって、伝説のように語り継がれていたが、それもこの頃は知る人も少なくなった。

やまあいの町の玄関である駅は、人と物と、そして文化の出入り口だった。戦時中は、召集を受けたにわか兵士が、ぎこちなく挙手の礼をしながら日の丸に送られて出発して行き、敗戦後は、命からがら生きて帰った復員兵が、疲れた足取りで降り立った。進駐軍の米兵が、ジープの上から薄荷の匂いのするチューインガムをばらまいたのもこの鉄道の駅だった。

しかし日本が高度成長をとげ、各家に次々と自家用車が入るようになると、本数の少ない電車は忘れられ、冬のスキー客も近代的な設備のある上越地方の大きなスキー場に移り、小さな鉄道はたちまちその必要性が薄れていった。そして、やがて山間部の方の路線は廃線となった。

かろうじて残ったもう一つの町と連結している路線も、この夏にも廃線の予定だと聞いた。走らせれば走らせるだけ赤字が出るという会社側の経営上の問題は、どうしようもないのだそうだ。保線区の人員も足りなくなって、全てバス路線に切り替えられていく。

かって煤煙を撒き散らし、嫌われて引退したSLが珍しがられて復活し、週刊誌のグラビアを飾り、鉄道マニアの人気を集めている陰で、過疎の町の鉄道は次々と廃線に追い込まれ、消えていく。

今はもう子供達は線路で遊んだりはしないし、ましてやあの神秘的とも言える地底からの声のような轟音が聞こえる線路に耳をつけたりもしない。
あの吹雪の闇を切り裂く警笛の音は幻の音になってしまった




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