ホームエッセイ目次>ホンダのバイク

ホンダのバイク
質素なたたずまいの「本田宗一郎ものづくり伝承館」に行ってきました。ホンダと言えばバイクです。戦後ようやく復興の兆しが見え始めた頃、四輪よりも先に、庶民はホンダのバイクに出会いました。バイクの時代が、遠い昔の日本にもあったのです。ホンダは実用一点張りのバイクの椅子を赤色にして、貧乏一色だった日本に元気色を伝えていました。

ある日、裏庭に、カブと称する自転車の親玉のようなバイクが置いてありました。動く物が何でも大好きだったオテンバは、恐る恐るエンジンをかけてみました。簡単にブル〜ン、、と音がして、振動が伝わってきます。表までこっそりと引き出してまたがってみますと、簡単に発進するではありませんか、「ウワ〜ッ、、動いた」そのままトコトコと駅まで走り、駅から隣町まで一直線についている電車の線路脇の、県道を走りだしました。クルマなんかめったに見ない時代でしたから、道路には人影も、自転車もなく、土埃がときたま舞い上がっているだけの田舎道です。アクセルの握りを手前に回せばスピードが加速されます。これはイイ、、気がつくと、駅を出た電車が走ってきて並走しています。アクセルをふかせば、すぐにノロノロ電車を追い抜くことができました。「ヒヤ〜ッ、、」

5キロほど先の隣町に入り、黒い板塀の角を廻ろうとしたときです、砂利道がザザ〜ッと滑り、バイクは横倒しになり、その黒塀に激突、オテンバは放り出されてしまいまいした。あちこちが痛かったのですが、そんなことより、転倒したということがショックでしたから、急いでバイクを引き起こし、少ししおたれながらも、素知らぬ顔で戻ってきました。よく見れば、ミラーがひん曲がり、折れかけて、擦りキズが横腹にギーッとついています。こそっと裏庭にバイクを戻しました。

右手の親指の付け根を強く打ったらしく腫れてきて、ずきずきしてきました、おしりをしたたかに打っていて、ここも痛みました。父親におそるおそる報告しましたら、意外なことに、「気をつけろ」という一言で放免されましたから、ホッとして、もう済んだ気になっていました。

翌日の夕方、会社から戻った父親は、それまで見たこともないような顔で言いました。
「電車と競争していたそうだナ!どういう気でそんなことをした?」なんでばれたんだろう、、

電車の車掌が、並走するオテンバの顔を見知っていて、父親に言いつけたということがわかりました。「みっともないことをするんじゃない!」それまでは父親に叱られたことがなかったので、心底こたえました。母親からは「そういうことをしていると、不良娘だと思われる」と、またまた毎度のお説教を、たっぷりと聞かされることになったのです。

懐かしいホンダのバイクでした。すっかり忘れていたカブが、さまざまなことを思い出させてくれました。 
本田宗一郎伝承館へ  エッセイ目次へ戻る
Home> 旅目次 エッセイ目次 花目次 浜松雑記帳目次 料理ワイン目次