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Momofuku Ando

The suffering Momofuku Ando saw in the days after World War 2 left a deep impression on him. Living in Osaka, Japan, he owned a factory and two office building, which were destroyed in the war. Ando wailed through the city one day in 1945 , thinking about what to do next. He saw a long line of hungry people at a ramen noodle stand, waiting for something to eat. Ando wished he could give them all noodles. He wished he could feed all of Japan, and even the world, with this delicious Japanese comfort food.

第二次世界大戦後の待ちの惨状を目にした安藤百福はそのあまりのひどさに心に深い傷を負ってしまいました。1945年の冬を迎えるある寒い日のことです。安藤は自分の育てられた故郷である大坂の廃墟とかした通りを歩いていました。土埃にまみれた穴だらけの道をに沿って柱を立てて風よけのトタン囲いをしただけの小屋があってこっちに建っていて、どこまでもどこまでも見渡せるといった風景は人が人を呼ぶのでしょう、人だけは大勢集まって不思議な活気を醸し出していました。

安藤の家はちょっとした資産家で、おおさかに自分の工場を持ち、オフィスビルを2棟所有していました。そんな家で育った百福は一般の人達よりも少しだけ広い視野で物事を見ることが出来ました。
自分の家の財産の総てを大坂大空襲で失っていましたが、廃墟の街を歩いている百福の頭に中は「明日の米」よりも「何が今ここに居る人達にとって必要なのか、何をしたら喜んでくれるのだろうか、それはどんな仕事を始めたらよいのだろうか」といった難問が、混沌とした姿でうごめいておりました。 (20180120210)


順番待ちの列の先には粗末な小屋があり、ラーメンと書かれた幟旗が風に揺れていました。小屋の隙間から湯気と煙がわき出るように立ちのぼり、寒空の中でその周りだけが別世界のような温かさに包まれていました。列の中のある人は小さく足踏みをしていたり、両手を擦り合わせて寒さに耐えていました。こんな光景を見ていた百福の心の中にこの人達みんなに温かいラーメンを提供できない物だろうか、、この人達だけでは無い、日本中の人達に腹一杯ご飯を食べさせてあげられないものだろうか、、いや、世界中の人々が十分な食事を取ることが出来たなら世界の争いはなくなって行くだろう、、思いは広がっていきました。(2019.1.25.)

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his bank failed leaving him with a feeling of .But failure focused his mind on doing good. He returned to his dream of feeding evert hungry person with delicious ramen noodles. He developed the belief that world peace will come when everyone has enough to eat.
安藤家は資産家でしたので仲間と共に金融業を始めました。今の信用金庫のような物です。百福は多額の出資をしましたし、他人の為という気質でしたから仲間の信頼も厚く理事長に選出されました。百福は頼まれれば嫌とは言えない人でしたから返済不可能な貸し出しの額が次第に増えてしまい、とうとう倒産ということになってしまいました。

百福は理事長という立場上全財産を失ってしまいました。百福の長男お話では、家の家具にまで赤紙が貼られ、自由に使える物は寝床と布団くらいしかなっかたと言うことでです。銀行の仕事が失敗に終わっても百福は落胆してやる気を失うことはありませんでした。

終戦直後のことを思えばまだましだ、努力さえすれば又立ち直ることが出来る、と自問自答している百福の頭の中に忘れかけていた当時の夢がよみがえってきました。

1957年日本はまだ食糧難が続いていました、ラーメンで日本中の人のおなかを満たしてあげたい。人々の笑顔が百福の頭に広がって行きました。この信念は百福の中でますます強まっていきました。(2019.3.15.)

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He began trying to invent tasty instant ramen that could be mass-produced, that would not spoil, and that only needed hot water. It wasn't easy, and he had many failures. Drying the noodles always ruined their texture.
れはそんなに簡単に出来ることでは有りませんでした。試してみてはこれはダメ、あれもダメと失敗の連続の日々が続きました。

お湯だけで元にもどすとすぐに食べられるラーメンになり、しかも長持ちさせるために乾麺の状態にするということが第一の難問でした。色々試してやっと難問を解決出来たと思ったら、出来上がった麺は味が台無しでした。(2019.4.12.)


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Then one day , out of ideas, he put some noodles into the hot oil his wife was using for dinner.
万策尽きた百福は妻が台所で揚げ物をしている傍らに立ってその手元をぼんやり眺めていました。コロモに包まれた海老が熱い油の中に滑り込むように入って行きました。パチパチと心地よい音をたてながら海老が浮かび上がってきました。食欲をさそう良い香りが立ちこめてきました。

一瞬、百福の頭の中をパッと光が駆け抜けたように感じました。
「そうだ、これだ!まだこれを試していない、、」百福はすぐに自分の考えたことを妻に話しました。妻は大賛成です。柄付きの笊に麺を入れて熱い油のなかに沈めていきました。(2019.4.19.)


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He discovered that frying the noodles worked. It dried them in such a way that they would not spoil, and could be enjoyed days later by adding hot water. The texture and taste were good, too. Ando was closer to realizing his dream.

この方法が良かったのです。一度、油で揚げた麺は日にちが経っても傷みませんでした。何日か経ったとでも熱湯に入れてみるとできたての麺と少しも変えあら無い食感と味がしました。

「これだ!これで良し!」百福は大成功の予感に奮い立つ思いがしました。
1958年、百福は「チキンラーメン」という名前で商品化したこのラーメンを売り出しました。初めは少し値段が高かったのですが、この珍しい食べ物に多くの人々が興味を示しました。商品が売れ出すと生産は拡大し、値段も安く提供出来るようになりました。

日本全国にチキンラーメンは知れ渡り、人々がこぞってこのラーメンを食べてくれまいsた。百福の長年の夢が実現されたのです。(2019.5.10.)

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His first product , Chikin Ramen came to stores in 1958. Although it was expensive, people liked it. It became cheaper and more popular all over Japan. After this success, Ando took instant ramen to the world. Every time he faced a problem, he solved it with fresh ideas. In the United States, the noodles were made shorter for easier eating with a fork.
百福の心は日本での成功だけにはとどまってはいませんでした。手始めにアメリカにカップラーメンを広めることを考えました。アメリカの人達の多くはナイフとフォークを使っての食事をです、日本と同じ長さの麺では上手に食べられません、試行錯誤した結果これが一番良い長さだという長さを見付、麺を切りそろえました。カップに入った麺をフォークで食べて見た大多数の人がその長さに賛成しました。長さ一つとってみても外国に売り出すとなると大問題なのです。( 2019.5.17.)

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And Ando developed a convenient Styrofoam cup container to keep "Cup O'Noodles" warm.
百福が作り出した物で最高の傑作は麺の入れ物です。当時つくりだされたばかりの新素材である発泡ステイロールを使って麺を入れるカップを作りました。空気を利用しているのでとても軽く、そのうえ保温効果もあり、持ったときに熱くありません。

「カップヌードル」という商品名で売り出された麺は、珍しさも加わって人々の口から口へと伝えられ、たちまち人気商品となりました。
(2019.5.24.)
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Ando's company, is now a worldwide food industry powerhouse. People eat 100 billion packages of ramen a year in the world. Ando's products have even gone beyond Earth, Feeding astronaut Soich Noguchi, who gave the eulogy at Ando's funeral in 2007 .
百福の創り上げた会社「日清」は今や世界的な食品会社にまで発展しました。一年間に世界中で1000億個のラーメンが食べられているのです。宇宙飛行士の野口さんは宇宙に滞在している時、百福の作ったカップヌードルを宇宙食の一つに加えて、食べてみたときの強烈な印象をずーっと持ち続けていたのでしょう、、百福のお葬式に出席したとき、弔辞の中心をそのことにおいて百福と出席された方々に伝えた程でした。(2019.6.07.)
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Ando's story shows us that success means more than just beating the competition. Every time he failed, Ando turned his disappointment and sadness into something positive. Ando realized his dream of giving ramen to the world, But he also thought us tat if we work hard and follow our dream, we can turn failure into success.
百福の物語は、成功が単に競争に打ち勝つと言うことだけではないということを私たちに示しているのです。百福は失敗しても決してめげるようなことはありませんでした。いつでも失敗の経験を前向きにとらえて、次の機会に役立てました。

百福は世界中の人にラーメンを広め、皆に喜んで食べて貰うという仕事を始めたときに立てた大きな目標、人生の夢を実現させることが出来ました。

百福の人生は、ひとは夢を持ち続け、それに向かって努力を続ければたとえ失敗することがあっても、いつかはゆめを実現させることが出来るのだということを経験を通して人々に教えているのだと思います。 終わり (12019.6.14.)

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