きんきんイカのターボ!★天野茂典

きんきんイカのターボ!
天野茂典



イカは電気にしびれたまま、多摩川を200キロの高速で
河口へ走る。死んだままの流れは、道祖神につかまり、ち
いさな口にのみこまれる。そのまえに石庭をこえるのだ。
イカは傷付いている。イカは救急車にのれない。差別だ。
しかし、イカには海が待っている。おおきな病院だ。イカ
は渇きに弱い。渇くまえに河口にでるのだ。イカは痺れて
いる。電気に、真水に。イカのスピードがみえる。すばら
しい速度だ。イカはいま速度だけを頼りに、見知らぬ水流
に挑んでいる。よくここまで泳げたものだ。生鮮海水車か
ら川に飛び込んだ。非人間的な食料などにはなりたくない
から。生命維持装置をはずして、街をぬけるのだ。

イカにどんな政治的発言も許されてはいない。首相に直訴
もできない。だれがこんなおいしそうな食料を見逃すもの
か。魚河岸も、水産庁も、水道局も、税務署も、彼のこの
快挙に味方してくれるものはあるまい。おのれの身体はお
のれが守るのだ。多摩川が謀略によって干上がるまえに2
00キロのスピードを保持しなければならない。過酷なレ
ースだ。過去に参考記録がないので、自分の勘でゆくしか
ないのだ。廃水は呼吸によくない。カモフラージュには絶
好だが、体力の消耗から、スピード・ダウンを強いられる。
排水管が詰まれば、ターボ機能も低下し、より精神的なダ
メージが大きい。こんな不条理をなぜ、ピットは許してし
まうのだろう。墨をはく。戦略としてわるくはなかった。
排水管が全開したのだ。自己の墨のなかで精神は攻撃性を
取り戻し、速度を透明に保つことができるのだ。この最新
のターボ泳法を見てくれ。

イカは光った。スピードが増したのだ。電圧が適度にかか
って、コース・チェックも確実だった。時には何本もの釣
り針がしかけられていたが、素早く躱した。ボートやカヌ
ー、子供達の脚や廃船の夾雑物をぬけた。何本目かの橋や
鉄橋を通過した後、イカは潮の匂いをかいだ。潮が逆流し
てきているのだ。汚染された水流のなかで、少し息が楽に
なった。多摩川は短い。いまや200キロをこえるスピー
ドでイカは河口をめざしている。発光する自身を感じた。
もはや自己の身体をイカというフォルムでスピードに対抗
できるかどうか、不安が頭をかすめた。スピードによる自
己解体が起こって不思議はなかった。イカは川では異邦人
である。はや、鮒、鯉、なまず、鰻などという淡水魚を慌
てさせながら、もはや新幹線ひかりをこえる速度だ、助か
る。

イカは痺れながら、解体しはじめていた。もはや自己の機
能を管理できなかった。水圧が膣圧のようにかかった。既
に金色の流動体となって、イカは河口を目前に不思議な次
元に迷い込んでいた。他者による解体ではなく、それはな
にかおおきなものの力によるGだ。袋小路に迷い込んでは
ならない。メビュウスの輪になってはならない。が、理屈
を越えて、彼は自己の解体をもはやおしとどめることはで
きない。イカは流れるビームとなって、やわらかな回帰す
る曲線を直進した。そうしてこの現象はもはや悲劇の誕生
などと誰もよべない。いまもイカの発光体は影のように流
れている。

丸子橋で、確認したのはきのうのぼくだ。イカのターボ!


|
目次| 前頁(「ハ長調」の海とパラソル★青木栄瞳)| 次頁(引力圏★清水鱗造)|