刺身論

刺身論



 刺身は、タネの新鮮さが味の必須な条件であることは云うを俟たない。むかし、海から離れた田舎町で魚を食わせるという店に入ったが、そこの客が「この鰆の刺身はトロッとしておいしいよ」と喋るのを聞いて、なんてことを言うやつだと思ったことがあったが、だいいちに刺身は歯応えがないとどうにもならない代物だ。しかしこの歯応えというものも一筋縄ではいかないのであって、いちど都内の某居酒屋の、知り合いの快気祝いの席で鮃の生造りが出たことがあったが、まだ痙攣が止まらないその刺身の出たてはまるでゴムみたいに固くて生臭く、一時間ほど置いたら普通の歯応えと匂いの結構な鮃になっていたことがある。生臭かったのは養殖もののせいであったかもしれないが、私はむしろ生造りよりは、生きていた時点で脊髄の血を放ってしまった、野ジメとか活きジメとか言われる処理を施したもののほうを好む。これをしておけば、あの歯応えと新鮮さが数日はもつそうで、特に白身の魚にはこの処理を欠かせない。私はよく、刺身で食わないで仕事をするのがもったいないか、刺身で食うのがもったいないか迷うことがある。刺身で食える上品は熱を加えると身が反り返るもので、しかし地方では無条件に刺身が馳走のようである。


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