発酵食品再び

発酵食品再び



 人やその土地の文化によっては好まない向きもあるだろうが、発酵食品がこれだけ遍く行き渡っている世界というものを考えると、私個人としては人間という存在もまんざらではないと、密かにほくそえみたくなってくる気持ちを禁じえない。鮎の内臓の塩辛であるウルカや例のクサヤなど、酒飲みの前でこの名を挙げればきっと微苦笑を伴った「身内」だけに判る反応が返ってくるだろうし、例えばチーズ好きならチーズ好きだけの鼻腔にただよう黴やワインのにおいがあると思う。この親密な感じというものが発酵食品の嗜好にはつきものであって、魚介とともにナレさせた半島の漬物や沖縄のトーフヨーなどを考えると、本土におけるかの地の人々にはその親密さは一転して強烈な望郷の念を起こさせるに相違ない、そういう深さがあるのではないか。においというのは実にネイティブな要素であると思う。しかしこの深さをさまざまに体験するというのが私は比較的好きで、いちど試みてみたいと思うのは北欧で嗜まれる発酵した鰊の缶詰で、これは機内に持ち込むと爆発するそうだ。季節には土地でこれを初鰹のごとく味わうパーティも開かれるというが、そのにおいの壮絶さを想像すると矢も楯もなくなる私は少し変わっているのだろうか。


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