串モノ

串モノ



 食い物を串に刺すというのは、少々くだけたというか馴々しい感じがあると思う。焼き鳥屋は申すまでもなく、鰻屋でのキモ焼きやカブト焼き、おでん屋でのイカボールだの、もっといえば中東や東欧のカバブ類、南米のシュラスコや東南アジアのサテ等数え上げればきりがないが、共通しているのはそれら串モノを前にするとわれわれは、その料理との心理的な距離がぐっと縮まる気になるということだろう。何か肩肘の張らない食い物という感じがして、もとをただせば餓鬼の頃、駄菓子屋にあった酢イカの串や紙芝居が売ったソースせんべいの串などの記憶にその淵源をもとめることができるのだと思う。ただしこの肩肘が張らないというのも油断がならないもので、偶然入った高そうな割烹風の店で、場所が京都あたりだと申し分ないが、先附に出された織部の平皿などにちょこんと載った小洒落た串モノほど不気味なものはない。なんだかこの身を置き去りにして、箸をつけた以上は何を言われても仕方ない気がするものである。しかし祭りなどにこの串モノがあるのはいかにもふさわしい。いつか花園神社で縁日が立ったとき、ふと気が向いてカシラ焼きを一本だけもとめ、夜の雑踏に紛れて歩きながら食った味に私の好む孤独を感じた。


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