酒の有難さについて

酒の有難さについて



 このごろ酒についてあれこれ好みをうるさく言わなくなってきた。ここで謂う酒とは清酒のことだが、芯から疲れたときや冷えたとき、心からほっとしたいときにありつく酒は何でも有難いもので、それが仮に格調高い美濃の三千盛や陸奥の雪の松島などだったとしたら、いかに辛口好みでも、いい酒を飲んでいるという意識が先に立って逆に目が冴えてしまう。今ならこの類の酒を日常使いするような人物にはむしろ不幸の陰を嗅ぎ取ってしまう私だが、むかしはそれに近いところがあって、料理もそれに合わせるのだからたまらない。酒の銘柄は何何、魚屋はどこそこの、と言い出すようになって、ある日魯山人の料理書にしげしげと見入っている自分にふっと気がついて愕然とした。飲み食いの、いちばん嫌いなタイプに自分が近づいていたのである。そういえば、若い頃、奥三河の花祭りを見に行ったことがあって、あれは厳寒の正月頃に執り行われる奇祭だが、なにがしかを社務所に包むと案内される食堂で、徹夜の見物の足しにでもと振る舞われた炒り豆腐の丼めしとヤカンに入れて熱くした地酒は心底有難かった。テーホエ、テホエという反閇(ヘンベ)の声に、甘くて熱い酒は酔うというのでもなかったが、振舞いの意味を知らされた。

|
続々々 解酲子飲食 目次| 前頁(蕎麦ひでり)| 次頁(大文章の朝飯)|