大文章の朝飯
大文章の朝飯
漱石先生の「吾輩は猫である」に出てくる、名無しの吾輩用の鮑貝に入った飯と汁は、あれはうまそうだと思う。猫の飯に物欲しげな顔をするというのも変な話だが、苦沙弥先生の娘たち、坊ばをはじめとん子やすん子が大騒ぎする朝飯も、飯と汁とあとは沢庵ぐらいのものだろうに、妙に心惹かれるものがある。ただし迷亭が苦沙弥先生宅で勝手に取り寄せる自前の蕎麦は、あまりに理屈っぽい迷亭の講釈も手伝ってか、ちっともうまそうではない。漱石は江戸っ子だが、これが石見の人・鴎外になると食物の話も少し趣を変えてくる。「渋江抽斎」における伊沢榛軒は抽斎邸を訪れるに勝手口から入り、俺に構ってくれるなと、自分で誂えた鰻などで抽斎の妻・五百を相手に飲み食いしたとある。まるで迷亭みたいだが、どうも江戸っ子にはこういう傾向があったようだ。鰻は抽斎自身も好んで時々食い、甘鯛の味噌漬けは好物らしかった。抽斎の義弟の比良野貞固は朝食にも酒を省かず、のだ平の蒲鉾を欠かさなかったが、これは鰻丼が一杯二百文のときに一板二分二朱したという。ある年の暮れ、貞固は五百に私かにこう言ったそうだ。「姉えさん、察して下さい。正月が来るのに、わたしは実は褌一本買ふ銭も無い。」
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