鰹好き

鰹好き



 初鰹をありがたがる風は、この頃ではだいぶ薄れてきたといえるが、むかし私がせっせと通い詰めていた大倉山の「土佐」という居酒屋の元終戦漁師の親父に言わせると、一年中鰹と付き合う地元の高知では、十月頃に回遊してくる戻り鰹を賞することはむしろ常識で、店でも十月頃のをとくに強く薦められたものだ。そこでは焙りたてを冷水で締めたやつに分葱、大葉、大蒜をたっぷりと載せ、酢と醤油をかけただけなのがタタキで、コップ酒の金陵やときたま置いてある司牡丹の冷やでそいつをやると、荒々しく新鮮な香が鼻腔を衝いたのを今も思い出す。しかしひるがえって考えてみると、あんなに初鰹に血道をあげた江戸っ子にとって、脂の乗った鰹なぞ野暮の極みだったという気もしてならない。芭蕉の元禄五年夏の句に「鎌倉を生て出けむ初鰹」というのがあるが、往昔鎌倉の海は鰹の豊富な漁場だった。それは兼好法師の時代以前にまで遡ることができるわけで、徒然草の第百十九段には「最近でこそ鎌倉あたりでは鰹を無上に珍重するけれど、頭など、自分らの若い時分には賤しい身分の者でも食わなかったものです」と土地の古老の話を伝えているが、江戸っ子が今の世に来たら差詰め鮪のトロあたりをそんな目で見るかもしれない。

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