臓物年代記

臓物年代記



 臓物系統はもともと好きだ。それが新鮮なものであれば内臓は、正肉とは比較にならない深い味わいを持つものだと思う(むろんグラム万単位の神戸牛がどうのこうのという話とはディメンションを異にする)。この味わいを覚えたのは御多分に洩れず若い頃の焼きトン屋で、脂の筋が網の目のように入ったカシラや、焦げのついた表皮のしたに甘いムースの詰まったレバー、また稀にしか注文を聞いてもらえない脾臓やマメなど、まだ陽の残るカウンター席で日焼けした親爺連と焼酎をやりながらほおばる味は格別で、いま考えてもそのときの光やざわめきや匂いがたちのぼってくるようだ。店の品は煮込みによって決まるものだが、仕込むときの脂の洗い方でその出来は数等違ってくる。生活が少し良くなって焼き肉屋へ行くようになってもしきりと思い出されたのがうまい煮込みで、数年前それを出す焼き肉屋を見つけたときは、話が納まるところに納まった気がして落ち着いたものだ。最近ではジビエ(鳥獣)や臓物料理が高級レストランでは流行と聞くが、こっちは低級レストランで三十年来のお馴染みだ。だが、近頃通う羽目になった医者に「この尿酸値は我慢ならない」と喝破され、とうとう内臓肉とビールを止められてしまった。

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