高ばしの泥鰌

高ばしの泥鰌



 私にとって泥鰌といったら駒形どぜうでも飯田屋でもなく、高橋の伊せ喜だ。いちばん最初に行ったのがどんな季節だったか忘れてしまったが、友達と訪れた夏が印象的でいまでも覚えている。冷房を入れないのが粋で、上半身ランニング姿のじいさんや若いのが燗酒で顔をまっかにして丸鍋をつついていた。こっちもありさまは似たようなものだったがそういえば泥鰌の季語はもともとは夏で、暑さに負けない精をつけるための食い物だったらしく、まあ鰻の兄弟分みたいなものだろう。泥鰌はおふくろも好物なのだが、駒形でも浅草でもなく、少女時分の上州の水っぺりのものの味が忘れられないというのだから無慮六十年の年季が入っている。十一月の初め、木枯らしが吹きだすころがおふくろの誕生日で、その日は伊せ喜に行くことにいつのころからかなっている。東京で暮らしが立つようになって以来かもしれない。これまでは二人で行っていたのだが、先年うちにも嫁が来たのでいまでは十一月になると三人で泥鰌を食いに行っている。
 こころざし枉げて歓あり泥鰌汁      解酲子




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