1997/03/11(TUE)

1997/03/12(WED)



いつも思うことだが、ナーダがわたしを風呂場に閉じ込め、体を洗って拭いてくれるあの時間のナーダ自身の素晴らしさはまったく何ものにも例えようのないものだ。それを他の何かに比較することなんてできはしない。ま、一言で言えば、あれこそ女性そのものとでも言おうか。まったく、サイコーであった。いっぽう、同じナーダが、話し疲れている姿も見たくないものだが、明らかにこっちを避けているような風情が見て取れる瞬間がある。風呂場のナーダと同一人物だとは思われない。わたしの思い過ぎかも知れないが寂しいことだ。

時間の過ごし方。いうまでもなく、いまのわたしの時間の過ごし方はサイテーの方法だ。もっとも頭の悪いそれであり、知恵のないそれである。時間を待つ。それが最初の敗北だ。人間の敗北だ。いまわたしは、人間を時間の前に立たせることから始めて、人間のスケールといったものをもう一度考えていくような視点に立てればと思っている。
スケールが小さいのだ。時間と対決させることでもっと規模を大きく捉えることができるんじゃないか。時間を待つ人間は冬眠者だ。彼にスケールはない。
時間に挑戦しなくなった人間とは何だろう。時間を待ち、ただ、やりすごすだけの人間 の営みとは何だろう。人間は時間への挑戦そのものであるはずだろう。
それを怠っているわたしはサイテーだとわたしは言ってるのよ。

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